銀座8丁目の高級バー「交流クラブ」でバイトをするようになり、最後に一人残り、チビリチビリ飲るようになり、徐々にお酒に慣れて(いいえ、騙されていったのです)いきました。

その頃は帰りの電車の中で「あぁー、俺も酒を飲めるようになったんだな。お酒を楽しめるようになったんだあー。」と、思っていました。

そうやって、味になれることによりドンドン深みにはまっていくわけですからね。

しかし、まぁ、それでも当たり前ではありますが、まだまだ序の口で住んでいたアパートの最寄り駅に着くとラーメンを掻き込んだり、新橋の立ち食いソバやでうどんの大盛りを食べていました。

銀座の交流クラブでのバイトはそれほど長くは続きませんでしたが、その後ももちろんバイトはしていました。

大学での飲み会の機会よりもどうしてもバイトが飲食店になりがちだったので、バイトが終わり、そのあとお疲れビールというパターンからの飲む機会が多く、いくつかのバイトを転々としながらも少しづつ、呑み助になっていったのです。

今この年になり考えてみると、大学生くらいだと本当に酒の味がわかっているのかどうか疑問に思えます。有楽町の居酒屋でバイトしていたころ、厨房の親父が「俺なんかこの年になるまで酒を飲んでいるのに、たかただ20歳チョロチョロで酒の味を云々言うのは生意気だ」と言っていましたが、それは、生意気というよりは「おまえ等みたいな若造にまだまだ酒の味なんてわかるわけがない」という意味だったのですね。

そのように考えると「全く仰る通り」だと思いますし、もしこのブログをそんな若い世代が読んでくれたら、この上ない幸せだと思いますが、まだまだ大学生くらいの年齢ですと本当に酒の味がわけるかどうかなんて甚だ疑問です。

だけど、本来でいうとこんなのは覚えなくても何にも支障はないのです。

コミニケーションという横文字をもじり、「飲ミニケーション」という言葉ありますが、そんなもの社会に出てからも別に必要はないのです。

だけど、社会一般の風潮として、「飲ミニケーション」は必要とされている、そこがまた、社会全体がお酒に騙されているのです。