鳥居の外国起源説

 

 鳥居は日本の街で散歩を楽しむと必ずと言っていい程出くわすが、この鳥居、実はどこから来たのか、その起源が分かっていない。推論のみ先行して定説は無しという状況で現在に至っている。

 

「鳥居」は日本古来のものと思う日本人が多い。しかし、どうもそうではないらしいというのが最近のデータ(史料)で分かって来た。鳥居の源流が日本以外にあるとする説は、実に多種多様だ。世界にこれだけ鳥居に似たものがあるとは驚きであるが、国内起源説や外国起源説など諸説ありで、考古学的起源についてはっきりしたことは分かっていない。

 

 先ず、鳥居の外国起源説を取り上げてみよう。(以下、写真は末尾の一枚を除いて久保多渓心氏の「鳥居とは何か?① 」から借用) ―

 

インド仏教にみられる古代インドの塔門Torana(トラーナ): その発音と形が「トリイ」に似ているため、これが鳥居の原型なのではないかとする説。外見は鳥居よりもはるかにゴージャス。基本的な形は似ているように見える。インド最古の仏教遺跡である世界遺産「サーンチー」のトラーナが有名である。

 

華表(かひょう): 中国で宮殿・廟宇・陵墓の前に立てられる石柱。

 

 

紅箭門(こうぜんもん・ホンサルムン、こうせんもん・フンサルムン): 朝鮮半島の紅箭門にもとづく説も見られるが、疑似科学*の域を出るものではない。主に墓所や廟、宮殿、教育施設などの前、村落の入口に建てられた紅色の門。これが日本に伝わったとする説。

 

アカ族集落の入口に立つ門(ロッコン・ロコーン): アカ族の風習には日本と不思議な共通点がある。アカ族では、稲の種まきの始まる毎年4月に、村の出入り口に木造の「門」を作る。この「門」は日本人なら誰でも知っている見慣れた「門」だ。

 

 アカ族の村の門には鳥の木形が置かれるが、同様の鳥の木形は日本での稲作文化の始まりとされる弥生時代の遺蹟である池上・曽根遺跡や纒向遺跡(まきむくいせき)で見つかっており、吉野ヶ里遺跡でも頻出している。アカ族の村々には、日本で見る鳥居に大変酷似した門が建てられている。

 鳥居は神の領域と俗世(人)の領域との結界としての意味を持つが、アカ族の門は人の生活する領域に存在する善霊と、悪霊の存在する村外とを隔てる意味を持っていることが分かる。むしろ共通した起源を持ち、非常に意味深い鳥居との一致点を持つ構造物だといえるかもしれない。

 

 日本国内の起源 ― 於不葺御門(うえふかざるごもん)説が有名である。延暦二十三年(804年)に建てられた屋根の無い門だと思われる事から、これが起源ではないかという説のこと。

 鳥に関しては古事記の記述に見られる「天照大神が天の岩戸へ隠れられ、世界が闇に包まれた時、八百万の神々が天照大神のお出ましを願って常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)を横木にとまらせて鳴かせた」を元とする。この鳥とは「鶏」と指摘されている。

 

 尚、日本で最初の地図記号が作られたのは、フランスの地図記号を基にしたもので、明治6年。日本地図で見られる記号(神社を表す鳥居など)は、明治以降の社会の変貌、地図の縮尺体系の変化等で20回以上変更され、現在に至るもの。

 

タイ北部山岳地帯、鮮やかな民族衣装が特徴的なアカ族

 

*疑似科学(英:pseudoscience)とは、科学的で事実に基づいていると主張しているにもかかわらず、科学的方法と相容れない言明・信念・行為のことである。(ウィキペディアから一部引用)