【様々な人物が裏図ける日ユ同祖論】 
 
日本とユダヤが繋がっている仮説 

いつ頃から言われ始めたか? 

江戸時代はキリスト教禁教令が出ていた 

明治時代に入って、解除されて宣教師が入ってくる 


 
スコットランド人の宣教師ニコラス・マクラウド氏 
(日本人が失われた10支族の末裔だと唱えた。1875年長崎で「日本古代史の縮図」出版) 
布教活動をしながら、古い日本の宗教に興味を覚え、日本の神社や文化に触れるうちに 
旧約聖書の内容に酷似していることに気づく。それが欧州などに知れ渡る。 
 

19世紀当時、

国際金融資本家(金融ユダヤ)が、

拡大していた時代に、

日本の権力者階層の中でも、

金融利権に結びつけて、

欧州などで迫害を受けていたユダヤ人難民救済の雰囲気があった。 

その中でも

河豚計画ふぐけいかく)」1930年代に、

満州にユダヤ人難民を受入れ計画があった。 

ユダヤ人の、財力や情報ネットワークを使って満州経済を発展させる計画があった。 
 


WW2では、

表向き日独同盟を組んでいたが、

ドイツ(当時ナチス)のニュルンベルク法(ユダヤ人の市民権はく奪)により

ユダヤ人迫害は、

日本政府、帝国軍も

きっぱりと反対し賛同していない。 

世界(特にアジア近隣諸国)で、

戦時中の日帝軍は、

ナチスドイツと同様な、

アジア近隣諸国の人々に対して

迫害をしていたという論説(デマ)が広まり、

軍艦島や佐渡金山の世界遺産登録などで

強制労働があったと言われる所以がそこにある。 

日本は、むしろユダヤ人を助けた立場だということを

歴史的に見直さなければならない。 



 
敗戦後、(60年代)米国のユダヤ教の教師でラビのマーヴィン・トケイヤー氏 
(米軍の従軍ラビとして訪日し、ユダヤ人と日本人の比較文化論を発表。ヘブライ語を話す皇族の三笠宮崇仁親王と親交をむすんだ。) 


 
(70年代)イスラエル言語学者のヨセフ・アイデルバーグ氏 
(イスラエル言語研究科。ウクライナのオデッサ生まれ。日本語とヘブライ語との共通性を見出し、1974年、研究のために京都の護王神社の見習い神官になる。) 





 
日本にユダヤ人が渡って来た時期】 
 
北イスラエル王国(10支族)紀元前722年 
・アッシリア捕囚→消息不明(東へ移動した可能性) 
 
南ユダ王国(2支族)紀元前586年 
・バビロン捕囚 
・ローマ支配 
・離散(ディアスポラ) 
 
 
◎ニニギ 九州降臨 
↓ 
初代 神武天皇=カムヤマトイワレビコ 
 ヤマト遠征  
神武 VS 長髄彦 (ながすねひこ)― ◎ニギハヤヒ(大和) 
 
神武天皇 紀元前660年 橿原で即位 
 
↓欠史8代 (伝記がない) 
 
10代 崇神天皇(ハツクニシラス) 
↓ 
 
【天孫降臨は2回あった?という仮説】 
ニニギとニギハヤヒは互いに天孫降臨していた? 
 
北イスラエル(10支族)→ニギハヤヒ(天孫降臨)? 
南ユダ王国(2支族)→ニニギ(天孫降臨)? 
 
古文によると、ニギハヤヒとニニギは兄弟とされる。 
北イスラエル(10支族)と南ユダ王国(2支族)も兄弟であり、ヤコブの子達であり子孫になる。 
日本神話と言うのは、本当にうまく世界の神話をぼかしてるな~と思う。 
 
旧約聖書では、神とヤコブが(シュモウ、現在は相撲の言語とされる)をして戦い、ヤコブが勝ち、 
イスラエル(イスラ・エル(Ysra-el))は、「神と闘う人」という意味の名前と土地も与えられた、 
パレスチナの場所に。。だから彼らは選民意識が高く、イスラエルと言う国の場所にこだわりがある。 
 
古代イスラエルと日本の建国が見事にリンクしている。。


やはり茂木 誠氏は、伝え方がうまい。教育者として、歴史全体から考えているし、
日本史に繋がる世界史実が、あるわけだから、
日本史や世界史を単体で理解しても歴史は紐解けない。