十六歳のアメリカ 1977年 夏 三四、シルビア 138 | 六月の虫のブログ

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 三日目はヒューロン湖に面するベイ・シティー (Bay City) のキーティングさん夫妻の家にお世話になった。キーティングさんとヒューロン湖岸をドライブした後、キーティングさんの家の近くにある公園に行った。そこには大きな池があり、たくさんの白鳥がいた。キーティングさんは、そこにボクを案内する予定だったらしく、パンの切れ端をビニール袋に入れて持ってきていた。彼は、袋からパンの切れ端を取り出すと、白鳥たちに食べさせた。白鳥たちは、非常に人間に慣れていて、キーティングさんの手から直接、パンの切れ端を突っ突いて取った。キーティングさんがボクにもパンの切れ端をやるように言ったので、ボクもパンの切れ端を持つと、白鳥たちに向かって手を延ばした。すると、一番近くにいた白鳥がボクの手にあるパンに向かって歩いて来た。ボクは突っ突かれると痛いだろうと思い、寸前のところでパンを落とした。それを見ていたキーティングさんは、「大丈夫、痛くないよ」と言って笑い、「写真を撮って上げるから、今度は落とさずにパンをやるように」と続けた。ボクは自分のカメラをキーティングさんに渡すと、パンを取り白鳥たちの前に手を延ばした。そして、キーティングさんが「はい、こっちを見て」と言ったのでボクがカメラのほうを見た瞬間、白鳥がボクの手からパンを持っていった。キーティングさんは、ボクに嘘をついていた。白鳥のくちばしがボクの指もかすめたが、結構痛かった。
 キーティングさんの家に着いたのは夕方だった。『夏時間』 (Daylight   Savings Time) の採用もあり、午後八時を過ぎても外はまだ明るい。『夏時間』とは、『標準時間』 (Standard Time) を一時間早めたもので、『標準時間』の午後七時が『夏時間』では午後八時となる。この『夏時間』の導入によって、野外活動やスポーツなどで夕方を有効に過ごせるようになったし、電気代などの節約にもなったとのことだ。また、『夏時間』の導入で、交通事故も減ったということだ。通常、四月の第一日曜日から十月の最終日曜日までの期間が、『夏時間』となる。 キーティングさんは、数年前にリタイヤして、奥さんと二人でのんびりと暮らしているとのことだ。奥さんは、夕食を用意して我々の帰りを待っていてくれた。異なるファミリーの家庭料理を味わえるのも、この旅行の楽しみの一つだ。外はまだ明るく暖かいので、外のポーチで夕食を食べることにした。ボクは、料理や食器を外のテーブルにセットするのを手伝った。キーティングさんは、ボクに向かって「ビールでも飲むか」と尋ねた。少し驚いたが、ボクはその申し出を喜んで受け入れた。キーティングさんは、ボクによく冷えた缶ビールとグラスを渡してくれた。初めて見る銘柄のビールだったので、ボクがそう言うと、キーティングさんは「この『ブルー・リボン・ビール』は、この辺ではポピュラーなんだ」と教えてくれた。この頃も、まだビールは速く飲めず、ゆっくりと時間をかけて飲んだ。また、量も一缶で十分だった。食事が終わると後片付けを手伝い、飲み掛けのビールを持ってキッチンのテーブルに腰掛けた。冷えていたビールも生温くなっていたが、気にせず少しずつ自分のペースで飲みながら、キーティング夫妻と日本についての話しをした。第二次世界大戦のこと、侍のこと、日本の製品や会社のことなどについて、夜遅くまで語り合った。今でも印象に残っているのは、ボクが『コダック』は日本の会社だと言い張ったことだ。この当時、日本の自動車などには、まだ安っぽいイメージがあった時代で、日本製品で誇れるのはカメラくらいで、アメリカで売られているカメラはほとんどが日本製だった。カメラや写真フィルムは、すべて日本製だと思い込んでいたボクは、『コダック』は日本の会社だと完全に勘違いしていたのだった。『コダック』がアメリカの会社だということが判ったのは、数年後のことだった。

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            白鳥にパンをやるキーティングさん

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              キーティングさん夫妻