十六歳のアメリカ ベースボール 二七、カーシャウ家へ 92 | 六月の虫のブログ

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 断髪式から数日後、ベースボールのトライアウト兼練習が始まった。早朝五時三十分に体育館に集合しなくてはならない。朝五時前に起床しなければならないので、夜は九時半に寝るようにした。カーシャウさんとは、前日に朝食を食べて行くかどうか話し合い、ボクは食べる時間よりも、睡眠時間を余計にとることにした。カーシャウ夫人は朝が弱いので、カーシャウさんがボクを起こしてくれた。ボクは紅茶を沸かし、発泡スチロールでできたカップに入れて、バナナをかじりながら迎えを待った。早朝練習には、近くに住んでいた十年生のゲイリー・バー (Gary Birr) と一緒に、彼の親父さんの車で送ってもらうことになっていた。ゲイリーは十年生だが、ボクたちと同じバーシティー・チーム(十一年生と十二年生のチーム)に推薦されていた。プラチナ・ブロンド・ヘアの彼は眼鏡を掛けていて、身長はまだそんなに高くはなかったが、体はがっちりしていた。彼には喘息という持病があり、小さい頃は運動もできなかったと親父さんが教えてくれた。彼のプレー振りからは、そんな持病があるとはとても思えなかった。チームの中でシーズンを通してフル出場したのは、このゲイリーとシニア(十二年生)のケント・ジェプセン (Kent Jepsen) の二人だけだった。ケントは外野だが、ゲイリーはキャッチャーという過酷なポジションでのフル出場だ。

 ボクたちがロッカーに荷物を置いて、体育館に着くと、もう数人の生徒がきて準備運動をしていた。ボクも準備体操をして、練習開始を待った。チームの定員は、十八人だ。ボクは、高校野球は日本のレベルの方が上だと思っていたので、自分がカットされることはないと信じていた。ノックの打球の取り方を見ていても、この連中の中では上手な方だと自信を持った。ただ、体格はみんなボクより勝っていた。ほとんどの者は身長が百八十センチ前後はあった。ゲイリーと彼が紹介してくれた彼と同じ十年生のケリー・オコナー (KellyO´Connor) と練習中行動を共にした。ケリーは、バスケットボールでもバーシティー・チームに所属するスポーツ万能選手だった。




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ゲイリー、卒業後に大リーグにドラフト指名されたと聞いたが、どうなったのかなあ?