一ノ関の駅に到着❣️
こちらはピカチュウがお出迎え。
なぜかはわかりませんが、可愛いくて癒されました。奥州市を通り、大谷翔平選手の出身地だねーなんて話しながら、東北本線に揺られること1時間。
友人が車で迎えに。
着いたよ〜。どこに行けばいい?
西口だよー。
西口にいるよ〜。
え!どこ?
西口の外。
え!西口通った?
なんて会話あり、構内ですれ違ったみたい。
そんなにお互い変貌⁉️
いえいえそんなことはなく、45年前と変わらない姿‼️白い帽子を被り、携帯電話手にする婦人を発見
懐かしい懐かしい、元気だった?を連発。
今日は、平泉中尊寺へ。
どうも、下見をしてくれたようで、歳の私たちがなるべく歩かなくて済む駐車場に車を停めて、スタート❣️
しかし、腹が減っては戦はできぬ。
花巻温泉でしっかり朝食をいただいても、減るものは仕方がない‼️
そこで、入り口のレストランで、盛岡冷麺
さっぱりしていておいしかったです。
さあ、中尊寺‼️実は2回目
金色堂。荘厳です。
私は朱印集めに東奔西走。合計9枚。どうも13枚はあるらしい。
途中で
松尾芭蕉さんとツーショット
句碑がいくつあったかなあ。金色堂で詠んだ歌が一番有名かなあ。
この後、毛越寺。
桜が咲いていました。
義経の哀しい結末🫤
中尊寺もそうでしたが、手入れされ、綺麗なお寺でした。ここでも、しっかり朱印ゲット‼️
この看板につられ、団子が食べたいと騒ぐ婦人一人あり。それにつられて、私もみたらし団子❣️
この後、厳美渓
水の流れが速く、岩に当たってできる水しぶきがこわく、保津川の川下りの事故と重なりました。さらに、街の中にあるのにもびっくり🫢
これにて一ノ関散策は終わり。
友人にホテルまで送ってもらい、お別れ❣️
またね。元気でね。頑張ろうね。
と、かなり感傷的。今度はいつ?
元気でいたいなあ。名残惜しいなあ。
しかし、予期せぬ展開に。
なんとまた会うことに‼️
勉強不足とは、このことです!
実は別れた後、ホテルで、またまた地図と睨めっこ。
陸前高田市の一本松を見たい‼️
行く前から思っていて、私にとっては、友人と会う事の次のメイン❣️
さあて、どうやって行こう?
ホテルから歩いて一ノ関駅へ、東北本線で気仙沼駅へ、バスに乗って一本松。だいたい2時間から3時間かかると予想。
無理かなあと思っていたら、なんと友人の住む場所が、一本松に行く途中‼️と判明。
なあに、だったら、駅で別れずに一緒に行き、彼女の家の近くに宿泊すれば良かった‼️と気づいたのですが、時は既に遅し。
何回か彼女に一本松の話をしたのですが、話題は霊感の強い娘さんの話に。
それ以上の話ができなかったので、まさか、彼女の家の近くを通って行くとはつゆ知らず。
もうこれは行くしか無い!レンタカーを借りて行こう‼️
しかし、前日のため、予約できず、当日に一か八かかけるしか無い‼️
万が一行かれない場合はどうするか?
仙台下車かなあ。
そこで、仙台に住み、アナウンサーをしている教え子にメール。
直ぐに電話をくれて、こちらも久しぶりの会話。
仙台の桜状況🌸は?
満開❣️
そう、じゃあ青葉城公園だね。
そこは、無い‼️
シンボルの伊達政宗の像が何が原因か⁉️わすれましたが、
倒れて、一昨日直ってきたばかり。修理中のあいだは、垂れ幕だったとか。
そうなの?
桜は、白石川堤一目千本桜🌸だよ。
いろいろ教えてもらって、第二案決定。
朝、タクシーを頼んで、ホテルを出て、とにかくレンタカーを借りに。
最初は、えーみたいな雰囲気がありましたが、
しっかり借りられて、陸前高田市を目指して出発
途中、やはり、友人の住む地名を見つけ、帰りに
寄るしかないじゃん❣️ってことに。
帰りに寄るよ〜とメールして、
走ること1時間半
まあ、快適
信号の少なさ、車の少なさ。
車内は、ずっと喋っているから、早い早い‼️
ついでに車のスピードも速い速い‼️
一本松に到着
一本の松が、この一本の松だけが、立っていました
近くには、ユースホステルがそのままの状態で、残されていました。
TUNAMIメモリアルで、津波の状況が詳しく説明されています。映像を見ると、12年前のことが思い出されます。
卒業を控えた6年生と、映画を鑑賞中。
横揺れが長く、みんなで校庭に避難。
仙台辺りが震源地の情報が入り
泣き出す生徒もいました。あれから12年
護岸工事が進み、綺麗に整地されました。
景色が一変したと友人は話し、あえて行きたいとは思わないと。いろいろな思いがあるのでしょう
犠牲になった方々への思い
復興に対する思い
まずは、逃げよう、自分を守ろうという思い
いろいろなことを考えさせてくれた場所でした。
一ノ関も陸前高田も歴史と、人々の思いを感じる街でした❣️
砂場コーヒーを飲んで、お土産を買って、被災地に貢献。そんなことしかできない自分がさびしいですが、
また、来た道を通り、ナビで友人の住所を入れて、車なし、信号なしの快適なドライブ。
今度は本当に、またねーと話してお別れしました
さあて、次は5年後。70歳の声を聞く前に会いたいものです。
これにて、岩手の旅は終わりです。