高まる予感がしてるのさ!!!
君と僕が夢を叫ぶ!!!
世界はそれを待っているんだぜ!!!!
というわけで、サンボマスターから、『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』をお届けしました。
いやー、すずけんのカラオケの選曲が憎くてw
この曲がなんかこう沁みますよねw
「片一方の言い分だけを聞いて、
単純に同情をしたり憤ったりしていた若い頃が、懐かしい。
歳をとって、世の中の人間の色々な事が分かってくるにつれて、
中立の位置から身動きがとれなくなることが増える。
やはり、僕たちはカカシなのだろう。(カカシの夏休み/重松清)」
ずいぶん前に読んで、
いいなって思った本の中の一文なんですけど、
僕ね、昨日ふと一年前、じぶんがどんなことをつぶやいてたのかな?
って思って2012年4月のTwitter見返してたんですよ。
そしたら、まぁ結構ガツガツ言ってるんですよね。笑
世の中の事とか、あと自分の身の回りに起こったこととかについて。
むしろ、そういうのが大事だと思ってたフシもあったりなんかして。
自分の捉えた事象を、斬っていくというか噛み付いていくというか。
もちろん、そこには怒りという感情だけではなくて、
さまざまな感情は思い、混じっていましたが。
それが自分の糧になって、たくましくなっていくんんじゃないかなとか。
そういうふうに思って、言う、っていうか言葉にしようとはしてたんですけど。
最近、そういうツイートがめっきり減りまして(笑)
むしろなんか生易しいことしか言ってないですよね、
んで僕自身も、そういう意志の強いツイートをしなくなっていってる。
まぁいわゆるTLを汚すような、感じの。
なんでだろうなと。
今日一日考えてたんですよ。
そしたらね、冒頭の、カカシの一文が、
思い浮かんだわけです。
カカシになってしまったんでしょうかね、僕は。。。
相手の立場になって、モノを考えるって、
コミュニケーションの中では一番大事かなって思っていて、
その相手の(立場で)考えてる事と、自分の(立場で)考えてる事が、
一致すると、楽しいし、
それを簡単に出来る関係ほど、親しくなりやすいのかなって。
そこを共有するっていう。
逆に共有することができないと、
「この人なんだか、合わないなぁ」ってなるのかなぁって。
そういう意味じゃ、たしかに僕はカカシになろうとしていて、
このままモノを言えなくなるのかなぁなんて思うわけなんですけど、
べつに、年相応の生き方しなくても、年相応の考え方をしなくてもいいのかなぁなんて思ってて、
そこもまた、違う(立場の)自分と、そのまた違う(立場の)自分の中で、
中立になろうとして、決断を下せない、動けない自分がいて、
フワフワとして、結局、定まらないから、
いまだ完璧なカカシではないんだろうなぁ。
知らないうちに変わってるもんだなぁ。
変わろうとしてもちっとも直せない、変えられない自分もあるけど、
生きていくうちに、なんとなく、環境の変化に適応していくうちに、
変わっていくよね。
その変化とやら、
果たして悪いのか、良いのか。
成長なのか、退化なのか。
後から考えるでもいいし、
今、結論を出すでもいい。
そして結論さえも出すことも決してない。
ただ、言えるのは、
今の自分が、今、ここにいるということだけ。
明日の自分が、明日、そこにいるということだけ。
一年後の自分が、一年後、そこにいるということだけ。
それだけ。
どんな自分でいるのか、なっているのか、これからなろうとしているのか。
新学期になっちゃったけど、
なんとなく、過去から、考えてみるのも、いいかもですね。
身動きのできないカカシでも、ただ漂うフワフワでも、
なんだっていい。
そうやって、自分を許す。
そんな弱いような強いような自分で、
そんないーので。
これからも、よろしく。
では、おやすみなさい。