ちょっと過ぎちゃいましたが
今日は桜のお話



桜桜桜桜桜桜桜



先々週末まで
なんとか桜の花が残りましたね


みなさん、桜を見に行かれましたでしょうか~?


私たちは2週間前に
京都、八坂神社の夜桜を見に行きました~。



photo:01



八坂神社はしだれ桜が有名ですが……。


私と八坂神社のしだれ桜の出会いは
はるか昔



高校1年の春にさかのぼります。


photo:02



そして……
それは文章による出会いでした。



当時、高校の真新しい国語の教科書に



画家、東山魁夷さんの
「風景との巡り合い」という随筆の
1節が掲載されておりました。




東山さんはある日、桜の季節に
思い立ち
八坂神社のしだれ桜を見にゆきます。



「円山の夜桜として知られている、 あの、しだれ桜の満開の姿と春の宵の満月が呼応する情景を見たいと思った。」(抜粋)


photo:03




桜を見た東山さんは
風景との巡り合いに思いをはせる。



「これを巡り合わせと言うものであろうか。花の盛りは短く、月の盛りと出合うのは、なかなか難しいことである。」(抜粋)



photo:04




東山さんの書いた随筆の中のしだれ桜は


この春に私の心に咲き始め……


行ったことのない京都の
見たこともないしだれ桜に
毎春、思いをはせた。



photo:05




実物のしだれ桜を見たのは
京都の大学に入り


京都に通い始めて1年が過ぎた
2回生になる春でした。



「こんにちは。
ずっと存じ上げておりました」


photo:06




それから何年もたった今でも

満開の桜の夜には

このしだれ桜に
会いに京都に足を運びます。


「今年も見事に咲かれましたね」



今日はしめくくりに……

偉大な画家であり
また偉大な随筆家でもあった
東山魁夷さんの随筆の1節を紹介して
終わることにします。





「これを巡り合わせと言うものであろうか。花の盛りは短く、月の盛りと出合うのは、なかなか難しいことである。

また、月の盛りは、この場合ただ一夜である。もし、曇りか雨になれば見ることが出来ない。その上、私がその場に居合わせなければならない。

自然は生きていて、常に変化して行くからである。また、それを見る私達自身も、日々、移り変わって行く。


生成と衰滅の輪を描いて変転してゆく宿命において、自然も私達も同じ根に繋がっている。

花が永遠に咲き、私達も永遠に地上に存在しているなら、両者の巡り合いに何の感動も起こらないであろう。


花は散ることによって生命の輝きを示すものである。

花を美しいと思う心の底には、お互いの生命をいつくしみ、地上での短い存在の間に巡り合った喜びが、無意識のうちに、感じられているに違いない。」

「風景との巡り合い」
東山魁夷著




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