2016年4月8日(金)④




東海道69里目の「一里塚」は跡のみ

今切りの渡しで一里が水上だったため

ややこしくなるので何番目と言う言い方はやめて何里目と言うI



江戸の頃

右には「松」左には「榎」が植えられていたそうですが

明治政府によって?更地とされ

そのヒステリックなまでの幕府否定を感じながら


更に京へと向かいます

いままでは枡形と呼ばれていた曲尺手(かねんて)も今では十字路になり

当時を忍ぶのは難しいけど

やや歪な所がなんとなくの名残です

宿場内の道を枡形に折り曲げわざと見通しを悪くした曲尺手

敵の侵入に備える意味も持っていたけど

大名行列同士がかちあわないための配慮でもあったとそうププッ・・・です

位の上下で嫌な思いをしたり揉めたりするのを防ぐのに一役買っていたとか


そして美味しそうな匂いのする「棒鼻跡」は

たい焼きやさんの門を曲がる手前


ここで大名行列が隊列を整え駕籠や葛籠の棒先を

揃えて歩き始める事から「棒鼻」と呼ばれるとも

因みに今までは「見附」と呼んでいました

どうやらこの地方の呼び方だと言うことですが

上方に近付いたからでしょうか?

これからどう呼ばれて行くかも楽しみになりましたてへぺろ



そしてその道が国道にぶつかった辺りが

「加宿 橋本」

あまりに新居宿と近かったため

新居宿に取り込まれたとか

古い佇まいは残るものの

ちょっとひなびた国道沿いと言った感じではありますが

1190年に源頼朝が上洛する際に

この橋本宿の「井戸」で湯を沸かしお茶を頂いたとか…

今では枯れ井戸になっていますが

そんな逸話を聞くと平安の頃には既にあったこの街道

いつの頃から人の行き来があったのでしょうか?


アテルイも通ったのでしょうか?…



2階建て上が鐘楼の山門が珍しい「教恩寺」の前を通り過ぎ

その先国道から別れて

東海道を進んで行きますルン

そして松並木ラブ

松の緑と桜の薄紅色が心地好い街道を更に京へと上がって行きますもんすたーためいき