母の日なので実家に行きました。


実家を出た理由の一つが

母と折り合いが悪くなったからでした、

仲違いのまま出てきて

連絡も殆どせずにいました。

意地を張ってた訳です。


わたしと父は

やりたいときに

やりたいことをしたい

情には厚いが

時にはルール破りもする

自由人なのですが

母はなんでも規則ただしく

食事は3食、時間も決めて

風呂は何時、寝るのは何時

お酒も飲まず

娯楽もせず

堅実なタイプです。


母の日をスルーする訳にはいかないな

とバツが悪いが

赤のカーネーションがいい

と昔から言っていたので

個人的にはダサいから嫌だったのですが

買って、テイクアウトの

ベジご飯を持って行ってきました。

夕方だったので

また、今から食事の準備されても

ペースが乱される、と

どやされんだろうなと思ったので。


実家を出る間際は

あんなに毎日どやされていたのに

ケロッと普通な対応で

ナポリタンつくるから

食べてけば?

と逆にご馳走になりました。


何をあげても

どこに連れて行っても

文句ばかり言われていて

何にももらってない

どこにもいってないと言われて

そんならもう、

なにもやらんわ!

と言ったことがあります。


離れてみて

わたしがしてきたことを

振り返ってくれたみたいで

18年前にあげた

鉛筆で書く奥の細道を

1ヶ月かけてコンプリートした

とか

早くはけよ!と言い続けてたのに

タンスのこやしにしていた

コットンのパンツを

履いてみてよかったから

自分でまた買った

と言ってました。


赤いカーネーションがいい

というのは

2歳で実母がなくなり

若い父親は婿養子のような存在だったので

実家に送り返されて

祖母に育てられていた母は

母の日にクラスで赤いカーネーションを配るのに

母だけ白いカーネーションで

いじめられたから

ということが分かりました。


私が

私自身はカーネーションがあまり好きでないし

別にカーネーションじゃなくても

その人が好きな花贈ればいいのに

といったらその話をまたしてました。


なんというか

人生において

みんな一緒ってないのに

そういう一見いいこと風の

無神経なイベントが

わたしは大嫌いなのですが

それは両親の生い立ちから

息苦しさを感じてたからなのだろう

と思ってます。


無理やりプレゼントしなくたって

普通の日常を

一緒に送ることでいいんじゃないか?


母の周りで

認知症で息子がくることもなくなった

お友達が孤独死していて

ヘルパーさんに発見されたり

大変お世話になった父方のおばが

家で1人で息をひきとっていたり

が続いてあって

人間は1人で天に旅立つのだなぁと思うとともに

両親のところには

定期的に顔を出そうと決めました。

たとえそうしたって

訪問しない間に

天に還ることだってあるでしょう。

でも、わたしは父さんと再会したことで

仕事よりなによりも

いちばん大事なのは

親とできるだけ一緒にいる

ということだ、とはっきり思います。

親の無償の愛は

受けられなくなったときに

初めて分かるのではないでしょうか?

親が子供を思うほど

自分は親を思っているか?

若い頃には分からなかった。

だからいま、慌てて取り戻してます。