新時代では、
"リーダーシップ" の概念もガラッと変化しています。
他人とか大衆に対して発揮されていたリーダーシップは、
これからは、
"自分自身に対して" 発揮する、
ことになります。
これまでは、
学校、職場、政治から、
自己啓発やスピ系のイベントを含めて、
誰か
"知恵や知識、能力のある人"
が前に立ち、あるいは先頭に立ち、
ほとんどの人は、
"席に座って" "黙って" 話を聞いたり、
それを身につけようと努力したり、
その人の理念や価値観、方向性の決定に従う、
正解を他者に求める、
という、
"受け身" なあり方が普通でした。
特に日本人は、
小さい頃からこの"システム"が徹底していたせいか、
または、
本来の "和を重んじる" 精神性がネガティブな形で現れていたからか、
こういったことは常識となっていました。
"自分自身が軸をもって、内なる叡智に従って生きよう"
"一人一人が神であり創造主なんだよ"
と伝えたり、それをレクチャーしようとしているような、
進歩的な講座やリトリート、コミュニティ作りをやっている人たちも、
この習慣があまりにも自然に身についているために、
"呼びかけて人を集める"
"場を仕切ったり、何かのメッセージを伝えたり、
全体の意識の向く方向を決定づける"
ということ自体が、
お互いの中で、無意識に、
主従関係、受け身になる側と指示する側、
つまり、
"コントロールする者と依存する者"、
を作り出していることに、
なかなか気づかなかったりします。
多くの人の中に、
"自分には大事なことを決める力や能力はない"
"神聖な叡智なんて、特別な人にしか備わっていない"
といった自己不信があるのが"ふつう"でしたから。
長い歴史の中での教育や習慣による"固定観念"というものは、相当根深く、
世間でも自分の中でも、あまりにも普通なので、
疑問すら持ちづらい部分であり、
まして、
それぞれが真に自立した上での、関係性とか社会作りに関しては、
やっとこれから模索がはじまるところです。
これまでは、
そこに違和感を感じられる人は、かなり特殊だったかも知れません。
ある意味、
学校に馴染めない子、
組織とか、"群れること" に馴染めない人、
"不良" とか "社会に適合できない" といわれた人たちが、
実は、本質的で進化した精神性、
自分の頭で考え、心と身体で感じ、
自らの叡智によって、あらゆる決定を、責任をもって行う、
という、
本来人間のもつ、健全なものを、
どこかで感じていて、
自分をごまかせずにいるケースだったりします。
それでも、少しずつ、
"まともな人は群れない"
という発信をする人も増えています。
一人一人が、自分自身にリーダーシップを発揮する場面は、
独りでいても、集団でいても、
日常の生活の小さな一つ一つの選択から、
趣味や仕事、人生の方向性の決定に至るまで、
すべてです。
自分軸が確立している人は、
日々、
"この選択、今やろうとしていることは、
本当に自分の選択だろうか"
"誰かが、そうすることが良いと言っていたから、
とか、
無自覚のままの、一般常識から、だろうか"
"不安や欠乏感から、誰かとつながっていたい、
グループに参加していたい、と感じているのかもしれない"
という問いかけをし続け、
自分の意識やマインドのあり方に気づき続けてきた人です。
ある技術を教わる、といった、限定した場面では、
先駆者やそれに長けた人に、
"習う" "従う" という姿勢はありますが、
基本的にどんな場面においても、
"とりあえず合わせておく"
とか、
まして、
自分では考えたり責任をとらずに、
"ただ受け身に従う"
といった行動はしません。
特定の人、統率者が、
社会や大衆をリードする、
といった現象は、必然的になくなります。
新しい時代は、
一人一人が、
神聖な内なる叡智に従って生き、
しっかり自立し、
自分の選択と行動、人生の創造に責任をもっていて、
その上で、
それぞれが持つ、別々の特性を理解して、
精霊や宇宙人などの多次元存在も含めて、
完全に"対等な関係" で、
生活と世界を共同創造しています。
かなり"心が成熟した"、
大人の世界、になりますね。
毎日、すこーしずつ、一箇所ずつ、掃除♪
目につかないところのホコリは、気づきにくいですね(^O^)
自分の中の、
"当たり前だったこと"とか"心の中のホコリ"も、
同じだなぁ、ってしみじみ思いながら(^-^)





