目に映るすべて、
感じられるすべてのものは、
わたし自身です。
もし、
自分以外の存在、
たとえば、一個の器や、道端の草や、誰かを大切に扱うことと、
自分自身の心や身体を大切に扱うことが、
まったく同じように、
満たされる感覚、安心や喜びに包まれる感覚があるなら、
"すべては一つ"という真実を生きているということです。
"全身全霊で、愛し、すべてを捧げたい、
できることは何でもしてあげたい"、
と思える人や、存在があるとします。
それとまったく同じ熱量で、
自分自身にそれを注ぎます。
逆も同じで、
真実を生きるほど、"自他"の差がなくなっていきます。
"もっとも小さい者にしたことは、
わたしにしてくれたこと"
一個の器、一本の草花を大切に扱うこと、
平和のために祈り、活動すること、
自分の心や身体を大切に扱うこと、
誰かのために奉仕すること、
そのどれも、
同じです。
『すべてであるわたし』
を、愛する行為です。
物でも良いし、
人でも良いし、
大切に大切に、心を通わせながら接する時、
自分の内側に、温かい愛が流れ込み、満たされるのが感じられます。
それは"自分自身"なのですから、当然なことで、
とてもシンプルな現象です。
わたしたちの周りには、
"愛するもの"
"愛せるもの"
が溢れています。
食器も、服も、
わたしに親切な人も、いじわるをする人も、
救世主も、犯罪者も、
みんな、
"別の顔をした"わたし
です。
人は人生の旅の中で、
新しいもの、新しい出会いで、
まだ知らなかった"わたし"を発見していき、
自分の全体像を知っていきます。
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