自分の知識、考え方、

信じていること、



丸ごと全部、疑うことはできますか?


捨てることはできますか?




新しい世界は、

これまでの常識をはるかに凌駕する、


想像を超えた世界ですから、


そこに生きる自分も、想定外です。





"これが正しい、これがベストだ"


"こういう時は、普通はこうするもの"


"これは善い、素晴らしいこと"




人には必ず、

多かれ少なかれ、なにかしらの価値観、基準があります。



それは、自分が体験してきたことや、

まわりからの情報に左右されます。



人によって、同じ事柄に対して様々な見方があり、

真逆の捉え方もされます。





"コロナ感染予防にマスクやワクチンは有効だ・・・"

いや有害だ・・・"




"幸せのために、安心のために、

こうすれば良い、これが必要・・・"




"人の意識の目覚め、進化のためには、


自分の中の闇やネガティブなものは見ずにポジティブなものだけにフォーカスした方が良い・・・

ネガティブな部分も含めて、あるもの全てを受け入れた方が良い・・・"




"国のトップは、国民のために働いてくれている・・・

1部の者の利益のために国民を搾取している・・・"





生活や仕事の環境、付き合う人たち、

得られる情報、経験などによって、

認識の内容がかわり、それが信念となります。




その枠をどんなに広げたとしても、


"すべて"を知ることはできません。




体験を通して確信を持っていることであっても、

他の人と同じ体験をしたわけではなく、すべての人、状況に通用するものはありません。



それは、認知できる世界の限界なのです。




世間の情報は疑えたり、自分の感覚を信じられる人でも、


一旦ものにした"自分の知識" "自分の信念"を疑える人はあまりいません。



苦労の末に身につけたものであるなら、尚さら固執したくなります。





新しい目覚めとは、

この枠の外に出ること。




つまり、


自分が知っていること、

体験を通してつかんだこと、スキル、


これが良い、あれは良くない、と無意識に判断している価値観、



すべてを、"疑うことができる" "いつでも手放すことができる"


ということです。




手放すには、

一旦、自分の知識、自分がどんな信念を持っているか、

"今の自分自身"を、

見切る必要があります。




自分を知る者が、

自己を超越することができます。




"世間の常識"にはとらわれなくなった人は増えていますが、


さらに、

"自分の常識、信念"も、

もっと大きな視点からみたり、疑ったり、手放していくことになります。




まったく知り得ていない、自分の外側に、

はるかに大きく広い世界がある、



そこにも意識を解き放ちながら、


目の前の現実をみる。




それは、見えるもの見えないもの、

知り得るもの、知り得ないもの、



すべてを信頼して、

自己を捨てる、



全信頼の領域です。





奈良で借りたレンタカーのナンバーが、

『わの1』

で、"和の時代の始まりだ!"

とテンションが上がりました(^-^)



"持っているもの"を全部手放してできた、

巨大な空白に、

次の新しい自分が入ってくる


そんな感じがしています♪