沖縄県庁の知事公室にもこの文を写した屏風が置かれ、2000年の沖縄サミット会場も「万国津梁館」と名づけられるなど、海外に雄飛する沖縄の象徴として現代でも使われる名文句です。
鐘はもともと首里城の正殿に掛けられていたといたといいます。
現代の文に直すと。
「琉球国は南海の景勝の地にあって、朝鮮のすぐれたところを集め、中国と日本とは非常に親密な関係にある。
この日中の間にあって湧き出る理想の島である。
船をもって万国の架け橋となり、珍しい宝はいたるとこに満ちている。」
ここまでは有名な文です。
琉球王国の性格をよく表現した文章だと思います。しかし、万国津梁の鐘に刻まれた文はこれで終わりではありません。実は、上にあげた文句は文章全体の4分の1にも満たない量なのです。
この鐘が記している本当に言いたいことのたった一部しか表していないのです。
残りの文章をわかりやすく要約すると、
「……偉大な尚泰久王は仏法を盛んにして仏のめぐみに報いるため、この鐘を首里城の正殿前にかけた。法を定め世の人々を救い、王統の長い治世を祝う。
相国寺の渓隠和尚に命じて鐘に刻む文を作らせた。」という感じです。
つまり、この鐘は海外交易の繁栄をうたったというよりも、「琉球が尚泰久王のもとで仏教を盛んにして平和になった」ということを伝えたものです。

鐘の文章の「三韓の秀をあつめ~」の部分を抜き出して、第一尚氏王朝が朝鮮の出身であることを主張する説も一部ありますが、この考えには全く同意できません。

文章がどのような思想のもとに、どのような目的で、誰によって書かれたかを考えれば、そのように主張することはできないと思います。
参考文献
沖縄県教育委員会文化課編『金石文』
最後までご覧いただきましてありがとうございます。
香純



