関東大震災から100年 1923年9月1日


■忘れてはならない いつも思うこと

 関東大震災から100年が経過した。100年も経つと、当時生まれていない人たちばかりの社会になるので、ほとんどの人は記憶はなく当時の記録によって、その頃を偲ぶことになる。
 
 大地震が起きて、大火事が起きて多数の人が亡くなった。多くの家屋も焼失した。
 被災して死亡した人は10万5000人。その9割が火事による焼死だとされている。

 その被害が、どれほどひどいものだったかは記録を見れば分かる。

 デマや風評で「殺された人」も多いようだ。いわく「朝鮮人が井戸に毒を流している」などのデマで、日本人は自警団を組み、役所と手を組んで罪もない多くの朝鮮人の人々を殺したりした。

 そんな話を聞くと、日本人がいい人種だとは思えなくなる。自然災害の巨大なものに直面すると、通常では考えられないような思考回路になって、恐ろしい集団心理から、通常なら絶対にしないようなことをしてしまうのだろう。

 関東大震災で、忘れてはならないのはこれらの出来事だろうと思う。地震ではなく火災でもなく、デマとそのデマに動かされた暴徒たちによる被害だ。

 




ーーーーーー(引用)ーーーーーー
 関東大震災から100年…明治以降の自然災害で最多10万5000人犠牲
2023/09/01 00:00 

    関東大震災

 明治以降の自然災害で最多の約10万5000人が犠牲となった関東大震災は9月1日、発生から100年となる。近代化した首都圏を襲った初めての大地震で、都市防災のあり方を見直すきっかけとなった。
震災後に整備の9m津波避難タワー、国の最大16m想定で避難場所として使えず

 地震は、1923年9月1日午前11時58分、相模湾北西部で起き、首都圏は震度7や6強相当の揺れに見舞われた。東京や横浜では大規模火災が起き、死者・行方不明者の約9割が焼死。経済被害は、当時の国家予算の約4倍の約55億円に上った。
関東大震災殉職者の慰霊祭で手を合わせる警察官(8月31日、東京都墨田区の警視庁本所署で)

 署長を含む55人が住民の救助中などに犠牲になった東京都墨田区の警視庁本所署では8月31日、殉職した警察官らの慰霊祭が行われた。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20230831-OYT1T50316/

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■関東大震災で起きた連続地震とその後

1923年(大正12年)9月1日

11:58 M7.9-8.1 神奈川県西部
12:01 M7.2 東京湾北部
12:03 M7.3 神奈川県・山梨県・静岡県県境付近

 関東大震災ではM7以上の地震が立て続けに3回続いたらしい。その前後にはもっと小さな余震等も数知れずあったという。

 地震の後は、そこら中が火の海で、人々は火の海から逃れることが精いっぱいであったようだ。

 関東大震災の後、日本では「防災」という考え方ができて今日に至っているという。

 だが、その後の大きな災害でも「防災」ということで日本社会が救われているようには思えない。阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震...などなど数えきれないが、いつもどこかで同じような光景が繰り返されている。
 たしかに科学技術も発達し、地震の強い揺れに耐えられる建物は増えた。火事が起きれば、素早い消防体制で消火作業もできる。医療も発達し、けが人や病人の救助も昔とは比べ物にならない。

 だが、大災害が起ってみると、被害者は自分で自分を守り救済しなければならないという社会であることに、100年たっても変わっていないような気がする。

 災害の被災地の「仮住居」から、何年も抜け出られない人がいる。被災者を社会が後押ししてくれないのだ。

 そういう人の話を聞くと、日本という国は「災害」にあったらダメなんだ、被害を受けたら「受け損」の国なんだ、といつも思う。

 災害はいつどこで起きるか分からない。たまたまその時にそこにいたために被害者になるのである。これはしょうがない。運みたいなものだ。そこで生き延びるために自分のベストを尽くすのは当然である。
 問題はその後である。家を失い、仕事を失い、家族を失い、それでも何とか立ち上がろうとする。多くの困難に直面しても、何とかしようというのが人生というものだ。
 だが、日本という国は困難に直面している人々に「寄り添わない」「援助しない」「救済しない」のが原則のようである。
 国や自治体は「している振りはする」。だが、本当に必要な支援は得られることは少ないようだ。

 関東大震災のような歴史的な出来事に対して、多くの情報は溢れている。情報に触れて、知識を増やすことで同じような災害に見舞われないようにする努力は必要だろう。

 と同時に、困難に直面した時には「どのようにすればいいか」を常に考えておく必要があると思う。

 人生そのものを考え直し、見直す必要があると思う。いつ凄いのが来るか分からない。少なくとも、物欲や執着から離れた自分でいたいと思っている。
 人間死ぬ時は何も持ってゆけないのだ。だったら、ものを持ちすぎない。生きている時から、そうするのだ。その心得だけで、災害に対する対処の一つはでき上がると思っている。
 災害について考える時、様々な思いがあるが、まず自分の我欲を捨てることからだろうと思っている。我欲がなくなれば、かなり多くのことが解決する。

 災害のことを考える時に、いつも同じようなことを考えている自分がいるようだ。

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