オネゲル が亡くなった日

 

11月27日

 

オネゲル 1892年3月10日 ~ 1955年11月27日

 

 

 

アルテュール・オネゲル

arthur-honegger.com

アルテュール・オネゲル(フランス語: Arthur Honegger、1892年3月10日 - 1955年11月27日)は、スイスとフランスの二重国籍を持ち、主にフランスで活躍した作曲家である。フランス6人組のメンバーの一人。Wikipedia 

 

■フランス生まれのスイス人 オネゲル

 アルチュール・オネゲルはフランスのルアーヴルにスイス人の両親の元に生まれました。亡くなったのはパリで、1955年11月27日のこと。

 フランス六人組の一人と呼ばれる。が、オネゲルを他の人々と並び称する意味はほとんどない。

 オネゲルの作風は、筋肉質で力強い音楽を指向していたが、ラテン的な世界にも理解を示していた。だが、ワーグナーやベートーヴェン、ブラームスといった世界により親近感を抱いていたようである。

 

 ワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」を好きでないと言う友人に対して「君は恋愛をしたことがないのか」と言ったという。このあたりに、オネゲルの嗜好が伺える。

 

 作風はオネゲル独特の対位法が見事に表現されるといった特徴をもっています。

 

 オネゲルの代表作は交響曲全5曲。いずれも傑作である。特に「典礼風」と名付けられた交響曲第3番と、「三つのレ」と呼ばれる交響曲第5番は優劣はつけがたい。そこには、まるで溶鉱炉の中で解ける金属のような崩壊寸前の音響が繰り広げられている。これを聴くものの心を捉えて感動させずにはおかない力強さがある。

 構成は全てフランク以来の伝統である3楽章制で全て作られているのも特徴。

 

 第一次、第二次世界大戦を経験した後に自身の宗教観から強いヒューマニズムに立脚して、前衛的な世界に走らず、古典的な音楽を書いたが、晩年には「音楽の未来は暗い」とかんがえるようになり、そういう主旨の論文まで発表している。 音楽に希望は持てないというのである。

 

 フランス生まれであっても、自身の国籍のスイスと深いつながりを持ち続けたオネゲルは、スイスのアンセルメやザッヒャーと交友を続けました。彼らからの委嘱によって多くの名作が生み出されました。

 

 またボストン交響楽団のクーゼヴィツキー、その後を受けたミュンシュとも交友があり、彼らによって委嘱された作品も多くあります。

 

 ミュンシュの残したオネゲルの録音には目覚ましいLPがあったが、いまでは懐かしい。(交響曲第2番、第5番など)。

 

 今日11月27日はオネゲルが63歳で亡くなった日である。

 

 

youtube

 

Honegger — Symphony No. 3 "Symphonie Liturgique" (1945–46)

 

「典礼風」

Symphony No. 3 "Symphonie Liturgique"

 

0:00 — I. Dies irae

7:31 — II. De profundis clamavi

19:21 — III. Dona nobis pacem

 

Royal Concertgebouw Orchestra

Conductor: Mariss Jansons

 

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