ズデニェク・フィビフ が亡くなった日

 

10月15日

 

ズデニェク・フィビフ 1850年12月21日 ~ 1900年10月15日

 

 

ズデニェク・フィビフ

ズデニェク・フィビフ(Zdeněk Fibich チェコ語発音: [ˈzdɛɲɛk ˈfɪbɪx], 1850年12月21日 - 1900年10月15日)は、チェコの作曲家。Wikipedia 

 

 

■チェコの名作曲家 スメタナの後継者と考えらたが...

 

 フィビフはスメタナ(1824-84)、ドヴォルジャーク(1841-1904)と並んでチェコ国民楽派の草創期を築いた19世紀の作曲家。 

 19世紀、オーストリア支配下の東欧では、スラヴ民族の連帯をめざした汎スラヴ主義が勃興し、楽壇でも、民族意識を鼓舞するような国民楽派の音楽が現れてきた。そのなかで、民族的素材との音楽上の立ち位置の違いをめぐって、楽曲の標題性(チェコの民話、歴史など)を重視したスメタナら「進歩派」と、作曲語法のうえでも積極的に民謡や民族舞踊を取り入れたドヴォルジャークら「保守派」の論争が起こり、フィビフは前者に同調してスメタナの後継者と目されていた。

 

 両者の出自の違いは―ドイツ語を話す裕福な家庭に生まれたスメタナやフィビフと、チェコ語を話す庶民の家庭に生まれたドヴォルジャーク―も作風に影響していると思われる。 

 

 庶民派のドヴォルザークの人気が高いのはやむを得ないであろう。お金持ちの子息であったスメタナやフィビフの作品はドヴォルザークに比較すると、よく言えば「上品」となるか、悪く言えばドヴォルザークほどの力強さはないとなる。

 

 だが、それでもフィビフの存在はけして忘れてはならない。

 

 スメタナやドヴォルジャークのようにチェコらしさを感じさせる作品が少ないためかチェコでの人気も今一つではあるが、この時期に重要な役割を果たしており忘れられてはいない作曲家である。

 

 その人生は壮絶で、最初の妻と子供を亡くすと、亡妻の希望で妻の姉を二度目の妻に迎えた。しかし、自分の音楽の弟子、18歳も年下の女性との恋愛に走り、二度目の妻とも別居して愛人との生活に走る。

 そんなこんなで慌ただしい人生を送っていたが、49歳という若さであっという間に亡くなってしまった。

 

 その恋人との愛の結晶のようなピアノ作品を300曲も残している。極めて美しいものが多い。

 

 だが、惜しむらくは早すぎた人生のせいか、スメタナやドヴォルザークのような代表作を残せなかった。日本では、極めて認知度が低いのが残念である。

 

 

 

youtube

 

Zdeněk Fibich : At Twilight, Idyll for orchestra Op. 39 (1893)

 

 

Performed by 

the Prague Radio Symphony Orchestra 

conducted by František Vajnar.

 

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