リャードフ の亡くなった日

 

8月28日

 

 

リャードフ 1855年5月11日 ~ 1914年8月28日

 

アナトーリ・リャードフ

アナトーリィ・コンスタンティノーヴィチ・リャードフ (Анатолий Константинович Лядов, ラテン文字表記:Anatoly Konstantinovich Lyadov または Liadov, Lyadoff, Liadoff など, 1855年5月11日(ユリウス暦4月29日) - 1914年8月28日)は、ロシアの作曲家、音楽教師、指揮者。 サンクトペテルブルクにおいて音楽家の一家に生まれる。Wikipedia 

 

 

■才能はあったがなまけもので早死にのリャードフ

 

 アナトーリ・リャードフの音楽は現在あまり知られていないが、有名なエピソードで音楽史にその名を残している。

 彼は、ロシア・バレエ団のディアギレフから《火の鳥》を題材にしたバレエ音楽の作曲を依頼されていた。にもかかわらず、ぐずぐずしているうちに若いストラヴィンスキーに依頼が回って、チャンスを逃してしまったのだ。ストラヴィンスキーがこの作品で一躍大成功を収め、今なお重要な存在であるのは皆さんご存知の通りだ。

 リャードフは、「《火の鳥》を作曲し損ねた男」として、ストラヴィンスキー《火の鳥》のプログラム・解説に脇役として登場する。だが彼の作品は忘却のかなただ。

 リャードフのグズグズ癖はこれに限ったことではなく、ペテルブルク音楽院の学生時代にも欠席過多で一度音楽院を追い出されている。のちに再入学が認められ、無事卒業できたのですが、師のリムスキー=コルサコフは、リャードフは「授業の練習課題は軽蔑していた」ようで、才能に恵まれながらも、勤勉な性格からは程遠かったのだ。実際、彼には構想のみで完成に漕ぎ着けることのできなかった作品が山ほどあるそうだ。大規模な作品を書き上げるのが好きではなかったのだろう。

 

 それでも彼は、母校の教授に迎えられてからは熱心に教育に取り組み、プロコフィエフ、ミャスコフスキーらを育てました。彼はちょうどロシア音楽における過渡的な世代に位置づけられ、自身が傾倒していたショパンを思わせる上品な洗練と、国民楽派らしいロシアの土臭さが音楽に同居しているのが実にユニークです。

 

 大作を仕上げるのは苦手だった「音の細密画家」ともいうべきリャードフは、瞬間的な美しさへの志向がつよく、その魅力は小品で開花させた。数多くのピアノ小品があり、派手さは無いものの、細やかな色彩のあやを織り成した佳曲です。《火の鳥》を作曲し損ねた怠け者という負の印象のリャードフだが、類い稀なセンスはその小品に見られるようだ。

 

 リャードフは、ロシア五人組の少し後の時代の作曲家だ。大物達の後の過渡期の人と言ってもよい。

 

 ロシア5人組(ロシアごにんぐみ)は、ミリイ・バラキレフを中心として19世紀後半のロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団のこと。次の5人からなる。

 

 ミリイ・バラキレフ(1837年 - 1910年)

 ツェーザリ・キュイ(1835年 - 1918年)

 モデスト・ムソルグスキー(1839年 - 1881年)

 アレクサンドル・ボロディン(1833年 - 1887年)

 ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844年 - 1908年)

 

 ペテルスブルク音楽院の教授としてはプロコフィエフやミャスコフスキーなどを育てたよい教育者であったようだ。リャードフは、1914年に59歳で亡くなった。音楽家としては早い死であった。

 

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リャードフ:管弦楽曲「8つのロシア民謡」

レオポルド・ストコフスキー指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1934年3月17日録音

 

[1.Religious Chant] 

[2.Kolyada Meleda (Christmas Carol)] 

[3.Plaintive Melody] 

[4.Buzzing and Biting of the Gnat] 

[5.Legend of the Birds] 

[6.Cradle Song]

[7.A round dance] 

[8.Village Dance Song] 

 

 

※名指揮者ストコフスキーが、珍しくリャードフの作品を取り上げて録音を残している。

 録音は古いが、リャードーフの魅力の一端を聴くことのできる録音である。

 

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