フローラン・シュミット が亡くなった日

 

8月17日

 

フローラン・シュミット 1870年9月28日 ~ 1958年8月17日

 

 

フローラン・シュミット

フローラン(フロラン)・シュミット(Florent Schmitt、1870年9月28日、ロレーヌ地方ブラモン(Blâmont) - 1958年8月17日、ヌイイ=シュル=セーヌ)は、フランスの作曲家。wikipedia

 

 

 

■高い評価の近代フランス音楽のフローラン・シュミット

 

近代フランス音楽史にひときわ高く聳えるフローラン・シュミット。シンフォニックで壮大なスケール感、精緻なハー モニーの移ろいはドビュッシーやラヴェルさえも凌ぐ。知的に押さえられた色調と厳格な書法の中に、純真さとユー モアがのぞく。

 

 フランスの作曲家。音楽の勉強を始めたのは10代の後半のことであった。パリ音楽院にて、和声学をラヴィニャックとデュボアに、作曲をマスネとフォーレに師事した。1897年には《カンタータ フレデゴンド》でローマ賞の第2位に入賞。

 1900年に《カンタータ セミラミス》でローマ大賞を受賞した。3年間にわたるローマへの留学の後、ドイツやオーストリアへも足を運び、パリへ戻る。フランスの中でもドイツの色の濃い地方に生まれたシュミットの作品は、ドイツ的な重厚さとフランス風の洗練を併せ持つ。

 ピアノ作品の他にも、管弦楽曲や協奏曲、室内楽、声楽曲と様々な編成を手がけている。

 

 作品の色彩感と、ラヴェルを「拡張」したような和声の扱い、緊張感、そして流れるような旋律が魅力。「サロメの悲劇作品50」(La Tragedie de Salome, Op.50)が最も有名だが、他にも魅力的な作品がいっぱいたくさんある。

 

 フローラン・シュミットは87歳まで生きた。

 

 

youtube

 

 

フロラン=シュミット  「サロメの悲劇」より真珠の踊り マルティノン指揮フランス国立管弦楽団

 

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