ジョン・バーンズ・チャンス が亡くなった日
8月16日
ジョン・バーンズ・チャンス 1932年11月20日 ~ 1972年8月16日
ジョン・バーンズ・チャンス
ジョン・バーンズ・チャンス(英: John Barnes Chance、1932年11月20日 - 1972年8月16日)は、アメリカ合衆国の作曲家。『呪文と踊り』、『朝鮮民謡の主題による変奏曲』、『ブルーレイク序曲』など、新ロマン主義のスタイルによる吹奏楽曲で知られる。
テキサス大学オースティン校でクリフトン・ウィリアムズに作曲を師事する。オースティン交響楽団でティンパニ奏者として活動した後、第4・第8アメリカ陸軍軍楽隊でアレンジャーに就いた。
1966年から、ケンタッキー大学にて教鞭をとる。
1972年8月16日、ケンタッキー州レキシントンの自宅で、感電事故により急死した。39歳であった。 wikipedia
■夭逝した若き作曲家
チャンス(1932-1972)
アメリカの寡作作曲家、ジョン・バーンズ・チャンス。若いときはオーケストラでティンパニ奏者として活躍し、その後、米第4、第8陸軍バンドのアレンジャーとして活躍。その後はパブリックスクールの教諭や、大学の講師も行ったが、40歳を目前にして自宅で感電死するという不幸に見舞われ、夭逝した。そのようなわけで、教諭時代の学生が演奏する前提の平易な曲が多く、またスクールバンド用の吹奏楽曲が日本でも高名。
特に、「呪文と踊り」「朝鮮民謡の主題による変奏曲」(朝鮮戦争に関連)が代表作であろうか。
そのチャンス、若いときのオーケストラ作品である交響曲第1番(1957)と、亡くなった年である最晩年(といっても30代だが)の吹奏楽と打楽器のための交響曲第2番がある。ここでは音源のある2番をとりあげる。
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ジョン・バーンズ・チャンス/交響曲第2番 I Sussurando
スティーヴン・スティール指揮
イリノイ州立大学ウィンド・シンフォニー
第1楽章はスッスランド(ささやくように、つぶやくように)という発想指定。ソナタ形式。その通り、聴こえるか聴こえないかの大きさで主要主題が「ささやかれ」て、楽器が少しずつ増えてゆき、金管のファンファーレから主部エネルジーコ。アレグロとなって、雄々しい第1主題が。
平易な路線からこのようなシリアスで重厚な路線への転換期に、残念ながらチャンスは亡くなってしまった。
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