ハイドンが亡くなった日

 

5月31日

 

ハイドン 1732年3月31日 ~ 1809年5月31

 

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732年3月31日 - 1809年5月31日)は、現在のオーストリア出身の音楽家であり、古典派を代表する作曲家。また、弟ミヒャエル・ハイドンも作曲家として名を残している。 数多くの交響曲、弦楽四重奏曲を作曲し、交響曲の父、弦楽四重奏曲の父と呼ばれている。 弦楽四重奏曲第77番(第62番)の第2楽章にも用いられた皇帝讃歌『神よ、皇帝フランツを守り給え』の旋律は、現在ドイツ国歌(ドイツの歌)に用いられている。Wikipedia 

 

■交響曲の父, 弦楽四重奏曲の父 ハイドン

 

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756年1月27日 - 1791年12月5日)と交流があり、モーツァルトから「ハイドンセット」を献呈される(49歳の頃)。

 実はモーツァルトのほうが先に交響曲を完成させ(交響曲39番、40番、41番)、弦楽四重奏曲もモーツァルトのほうが先だったが、モーツァルトはこの10年後に35歳という若さでなくなり、ハイドンはモーツアルトよりも高齢でしかも長生きしたため、何らかの勘違いで音楽史上ではハイドンは交響曲の父と呼ばれ、弦楽四重奏曲の父と呼ばれるようになった。

 ハイドンは長生きしたために、エステルハージ家の宮廷楽長として尊敬を集めたが、モーツァルトは、いわばフリーランサーのような状態で、しかも早死にしてしまったことがこのような勘違いが生まれた原因かもしれない。

 

 だが、ハイドンの作品も古典派としては、常に新しいものを求めて進化していったので魅力にあふれている。モーツァルトはハイドンの影響を受けたなどと言われるが、ハイドンのほうがモーツァルトに影響され多いに刺激を受けて作品を創ったといえよう。

 

 ハイドンが最晩年にイギリスに渡って作った最期の一連の交響曲はロンドンセットなどと呼ばれて名作ぞろいだが(59歳~63歳 交響曲第93番~第104番)、すべてモーツァルトの三大交響曲の後に作られたものだ。まあ100曲を越える交響曲を作ったのだから、交響曲の父と呼ばれてもしょうがないのだろう。

 

 モーツァルトの死後、こんどはベートーヴェンの師匠となり12年間も教えていたのだから、たいしたものだ。

 

 72歳で楽長職を辞し77歳の5月31日に亡くなった。この当時の音楽家としては長生きだ。

 

 

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交響曲第94番「驚愕」:第2楽章

Franz Joseph Haydn

交響曲第94番「驚愕」:第2楽章

 

有名な「びっくり」交響曲の第2楽章。当時の聴衆が、演奏会の最中に居眠りをするので、趣向を凝らして目を覚まさせてやろうとしたという逸話が残っている。いまでは、この楽章のティンパニのドンという強打もびっくりするほどではないが、当時は貴族のご婦人達はさぞかし驚いたことであろう。

 

 

ハイドン 交響曲第101番「時計」:第2楽章

 

Franz Joseph Haydn 

交響曲第101番「時計」:第2楽章

Franz, Joseph Haydn: Symphony No. 101 in D Major, Hob.I:101, "The Clock"  II. Andante

 

この曲は第2楽章の伴奏音形が時計の振り子の音のように聞こえるので「時計」と名付けられた。印象深いし美しい音楽だが全体で4楽章あるうちの他の楽章のほうが、更に優れている。 

 

 

ハイドン:弦楽四重奏曲第77番ハ長調『皇帝』第2楽章

 

ドイツとオーストリアの国家としておなじみ。あまりにも有名な曲。

Alban Berg Quartett

Haydn: String Quartet No. 62 in C Major, Op. 76 No. 3, 'Emperor': II Poco adagio, cantabile

 

 

 

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