■除夜の鐘 ほんとうに風物詩?

 

 そもそも除夜の鐘は、大晦日の深夜から元日にかけて、人間が持つとされる108の煩悩を静めるために煩悩の数と同じ108回鐘を突くものだ。(ほかにも諸説がある。)

 

 戦前から戦後、多くの国民が夜間にお寺に参り、除夜の鐘を叩いたり聞いたりして、深夜のうちに新年を迎え「初詣(はつもうで)」を済ませて帰宅する。家に帰って、改めで「明けましておめでとうございます」と家族同士で挨拶をして新年を始めるというパターン化された新年の迎え方だ。

 

 これは、じつは古くからある形式ではなく、昭和になってから、寺が人を集めるために始めたものだといわれている。古来から行われていたわけではない。

 

 いつの間にか、風習のようになって「日本の美しき習慣」のように解釈されるようになった。だが、仏教の開祖であるお釈迦様がそうしろと言ったわけでもなく、宗教的な意味もあるわけではないようだ。

 

 だが、いまほど騒々しくない時代には、大晦日の真夜中に、寝静まった街中に「ゴーン、ゴーン」と鳴り響く鐘の音を懐かしく思う人も少なくないだろう。

 

 ところが、世の中が騒々しくなってきて、昼も夜もうるさく騒がしい時代になると、夜中の「ゴーン、ゴーン」も騒音の一つに感じられ「除夜の鐘はうるさい」という意見が出始める。

 

 一ヶ所からそういう声が出ると、あちらでもこちらでも「そうだ、そうだ。除夜の鐘はうるさい。」ということになって、全国的に広がりを見せるようになった。

 

 その結果、多くの寺で「除夜の鐘」を、夜中ではなく明るい時間から始めるようになってきた。なかには、除夜の鐘そのものを取りやめてしまった寺も多い。

 

 夜中に除夜の鐘を突かなくした寺は「訪問者」が減ったかというと、そうではない。むしろ明るいうちに始めたほうが多くの人が寺を訪れるようになったのだ。 

 

 社会の高齢化が進み、年寄りが多くなった。年寄りが何も好き好んで夜中に寺を訪れていたわけではないことが分かる。

 

 むしろ、明るい時間帯にやってくれたほうがありがたいと考える年寄りのほうが多かったのだ。報道によれば、ある寺では夜中の除夜の鐘には80人ほどの人が訪れていたのに、昼から除夜の鐘を突くようにしたら1,000人もの人が寺にお参りに来るようになった...などの事例もあるようだ。

 

 つまり、夜中の除夜の鐘の「人集め」や「なんとなく年末っぽい情緒」「初詣に繋がる」などが、意味を成さなくなってきているということだ。

 

 108の煩悩を取り除くなどと、呪術っぽいことを言ってもそう感じている人は少なく、一年の締めくくりをしたという程度のものになっているのだ。信仰心など、あまりないのだろう。

 

 だから、この鐘の音を聞いて「うるさい」などとクレームをつける人も多発する。そして寺側に「除夜の仮名はやーめた!」と思わせるほどの圧力となってきたのだろう。

 元来、日本人は信仰心の薄い人種だ。ほんの一握りの人たちが昔からの信仰を守ってきているようだが、多くの人々にとっての信仰は年に一度の初詣でぐらいだ。

 

 たぶん大多数の日本人には「困った時の神頼み」がほとんどで、普段は「信仰」にはほど遠い生き方をしている。

 除夜の鐘も、一年の一度の年中行事の一つであり、それ以上の意味はない。

 

 除夜の鐘を寺に行って聞いて、そのまま年初めの初詣でにつなげている人の数は多くはない。地方に点在する多くの寺では、参拝者はせいぜい数十人あるいは数百人程度であろう。

 

 逆に大型の神社への初詣は何万人もの人々が詰めかける。何の御利益があるのかは分からないが、御賽銭を投げ入れて一年の無事と豊饒を祈るのだ。

 国民みんなが信仰心に基づいているのなら、そして寺でも神社でも、神様がいて皆の願いを聞き入れてくれているならば、もう少しましな社会になっていると思うのだが...。

 

ーーーーーー(引用)ーーーーーー

「除夜の鐘がうるさい」時間を前倒しするお寺増加…“効果”は薄れないかも聞いてみた

 

FNNプライムオンライン編集部

2019年12月18日 水曜 午後5:00

 

「除夜の鐘」を前倒し

 

「除夜の鐘がうるさい!」近隣からの苦情で中止や時間の前倒しをするお寺増加

参拝者や寺の世話人の高齢化という事情もあった

前倒ししても煩悩を静める効果は変わらない?お寺に聞いてみた

 

 

大晦日の風物詩・除夜の鐘にここ数年変化が起きている。

そもそも除夜の鐘は、大晦日の深夜から元日にかけて、人間が持つとされる108の煩悩を静めるために煩悩の数と同じ108回鐘を突くものだ。(諸説あり)

 

鐘の音が遠くから聴こえると「今年も終わりか…」と思うほど定着しているものだが、一方でこの除夜の鐘がうるさい!という近隣からの苦情によって、除夜の鐘を中止したり、時間を早めて行う寺が増えているのだ。

 

静岡県にある大澤寺では、苦情の電話があったことで、2004年に中止。しかし、檀家や住民のリクエストがあり、2014年から大晦日の昼間に鐘を突くことで復活させた。また、群馬県の宝徳寺では、2015年から鐘を突く時間を午前10時からに変更して行っている。

 

恒例の行事が変わってしまうのは寂しい気もするが、意外にも除夜の鐘の前倒しは、お寺にとってメリットもあるという。

一体、どんなメリットがあるのか?また、時間を早めることで煩悩を静める効果は薄れないのか?という疑問も浮かぶ。

 

2018年から鐘を突く時間を深夜から夕方に前倒しした福岡県、東長寺の方に詳しく話を聞いてみた。

騒音の苦情だけでなく参拝者や寺の世話人の高齢化も

――“除夜の鐘”の前倒しを始めた経緯は?

 

東長寺は、福岡の歓楽街・中州から徒歩10分くらいのところにあります。

市街地の中にあり、周りはマンションだらけ。田舎なら近所付き合いの手前、年に1回のことですし、許されるのかもしれませんが、ここは地元以外の人も多く住んでおり、自由に鐘を突ける場所じゃないんですね。

数年前から大晦日に鐘をついていると、若い人から苦情の電話が来るようになりました。

 

また、大晦日にお寺を手伝っていただく方は高齢の方が多く、深夜の作業がきつくなってきました。参拝しに来ていただける方も、高齢化により深夜より朝に来られる方が増えました。

 

そうしたことから、それまで夜11時半に開始していた鐘突きを、去年の大晦日から夜6時に行うようにしました。

――実際、去年の大晦日に、やってみてどうだった?

 

事前にお寺の掲示板で告知していたこともあり、毎年、鐘を突きに来ていただいている常連の方々にも納得いただき、特に問題はありませんでした。苦情の電話もありませんでした。

 

福岡県 東長寺

 

深夜に騒ぐ若者がいなくなるメリットも

――前倒ししたことによるメリットは?

 

夜11時半に開始していたころは、カウントダウンイベントを終えた若者たちも多く詰めかけ、

深夜3時まで騒がしかったのですが、そうしたことはなくなりました。

――今年は何時から行う予定?

 

今年も夕方6時から開始する予定です。

寺の関係者5人が鐘を突いた後、残り103回を一般の方に突いていただく予定です。

 

時間変更しても“効果”は変わらない?

――鐘を突くのを大晦日の深夜から夕方に変えても“効果”は変わらない?

 

我々の見解では、大晦日の深夜に鐘を突くのはNHKの「ゆく年、くる年」で定着したものと思われますが、深夜に鐘を突かなければいけないとルールがあるわけではありません。

除夕(じょせき)の鐘といって、夕方に突くものもあります。

夕方に鐘を突いても、問題ありません。

――一部のクレームにより、日本の伝統行事がなくなってしまうことをどう思う??

 

除夜の鐘は、昭和に入ってからお寺が人を集めるために始められたものだと言われており、古くから行っていたわけではありません。

先ほど話したように、高齢化で深夜に参拝する人が少なくなってきています。

このような社会の変化を受け止めて、その変化に合わせて行っていくものなのではないでしょうか。


 

年末の風物詩である除夜の鐘。

夜中に聞こえなくなることを嘆く声もあるが、話を聞いてみると、時代の変化に合わせてやり方を変えていくのが伝統を残す上で最善の方法なのかもしれない。

 

https://www.fnn.jp/articles/-/16115

 

------(以上引用終わり)ーーーーーー

 

■多くの不幸があった2021年も終る

 

 コロナのために社会全体が行き詰まっているような気がする。歴史を紐解いてみると過去にも、災害や飢饉や疫病の流行、戦乱、政治の不良なための社会不安...など、多くの不幸が社会を覆ってきた。

 そのたびに、力のない国民は「神頼み」してきたのだろう。災害で田畑を奪われ、飢饉で食料も取れず、疫病の流行で多くの家族が失われ、戦争で夫や息子を奪われ、そのたびに国民は塗炭の苦しみを味わってきた。

 

 いまは、コロナの流行、それと10年前の原発事故。経済的な不安と、健康上の不安が国民の上を覆っている。さらに追い討ちをかけるように「できの悪い政治」だ。

 自然災害の不安も大きい。

 

 これらが一時に押し寄せてきているのが2021年だろう。2019年からこのかた、心休まる間がない時のすすみ方だ。いや、もっと前からだろうか。

 

 とにもかくにも2021年は終る。翌日には新たな年が始まるのだが、明るい材料は一つでもあるだろうか。

 

 じつは、明るい材料は「自分自身のなか」にしかないのだ。どんな社会だろうが、どんなに重苦しいものに覆われていようが、このなかで、精いっぱい生きてゆかなければならない。

 

 年末年始は、あすへの意欲を確かめるためにあるのだろう。

 

 凡庸だが、除夜の鐘を遠くに聞きながら未来を思い、明日への戦いに備えようと思う。

 

***