■ロッシーニが亡くなった日
11月13日
ロッシーニ 1792年2月29日 ~ 1868年11月13日
ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニは、イタリアの作曲家。多数(39作)のオペラを作曲し、代表作『セビリアの理髪師』はいまも定番のオペラのひとつである。最後に有名ないグランド・オペラ『ウィリアム・テル』を書く。
1792年にイタリアで生まれた、1970年生まれのベートーヴェンより22歳下のイタリアオペラの大作曲家。このロッシーニが1816年、わずか22歳の時の歌劇『セヴィリアの理髪師』が、瞬く間にヨーロッパ中に広まり、ベートーヴェンの活躍するドイツ・オーストリアにも怒濤のような人気を博した。ベートーヴェンはこの風潮を嘆き「あの軽薄な音楽が広がって、まともな音楽が聴かれなくなった。ロッシーニ派どもが!」と怒りの言葉を口にしたほどだった。時にベートーヴェン48歳、ロッシーニ26歳である。
ベートーヴェンが怒りを覚えるほどの早熟の天才ロッシーニですが、33歳の時に39作目のオペラ、『ウイリアム・テル』を作曲して以降、ほとんど作曲をやめてしまい、44歳にはとうとう音楽家を引退。その理由は諸説あり「音楽への興味を失ったから」「生涯困らないほど金を稼げたから」など様々だが、おそらくは創造性の枯渇が原因だったのだろう。
ロッシーニの魅力は、そのメロディの親しみやすさや斬新さに加え「ロッシーニ・アチェルランド」(あるいは「ロッシーニ・クレセンド」)と呼ばれる音楽の加速にある。あるフレーズから、どんどん加速してゆき興奮のるつぼに聴く人を巻き込む。そのスピード感と高揚感は当時の音楽には見られない魅力であった。
だが、わずか33歳で歌劇「ウィリアム・テル」を作曲以降は、ほとんど何も作らず、それ以後は「美食」つまり旨いものを食らうことに専念する人生に転換していったのである。
ロッシーニの肖像画がデブなロッシーニである理由もこの美食と関係があるだろう。
ロッシーニは前半生は多くのオペラ作品を作曲し、後半生は旨いものを食い続けるという人生を送ったのであった。
ほぼ同時代とはいえ、ドイツの重厚な音楽を作り続けた大天才ベートーヴェンとは、音楽では比較するべきではない。ベートーベンは人類の歴史上で5本の指に入る大大天才である。
ロッシーニは、優れた才能はあったし、当時の人々の心を満たす軽快な音楽を作った人だ。ロッシーニの軽快さは現代人にも受け入れられる普選性も持っている。
ロッシーニの音楽は聴けば、いつでも心地よい。心を浮き立たせるものもある。現代のコンサートでも「セビリアの理髪師」序曲、「ウィリアム・テル」序曲などは常に取り上げられているレパートリーの一つだ。
四の五のいわずに、難しいこともいわずに音楽を楽しもうという時にはロッシーニの音楽は最適だ。
ロッシーニの命日に彼の代表的な作品のひとつや二つを聴くのはとてもよいことだ。少なくとも、心が健康になる音楽だ。疲れた心、病んでいるかもしれない心を清浄にしてくれると思いながら耳を傾けるのがいいと思う。
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歌劇「セビリアの理髪師」序曲
リカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団
歌劇「ウィリアム・テル」序曲
リカルド・ムーティ指揮 スカラ座歌劇場管弦楽団
お楽しみください。
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