◆池江璃花子のSNSに五輪辞退求める投稿 本人が明かす「とても苦しいです」【全文】
デイリー 2021.05.07
競泳女子で白血病を乗り越えて、東京五輪代表に内定した池江璃花子(ルネサンス)が7日、自身のツイッターを更新。自身のSNSに、コロナ禍で五輪開催に反対する人々から「辞退してほしい」「反対の声をあげてほしい」というメッセージが届いていることを明かした。
池江の投稿は以下の通り。
【池江選手の投稿全文】
https://www.daily.co.jp/general/2021/05/07/0014306587.shtml
◆池江璃花子 辞退求める声へ、5つの投稿で複雑な思い吐露「私は何も変えることができない」
5/7(金) 21:11配信 デイリー
池江璃花子
競泳女子で白血病を乗り越えて、東京五輪代表に内定した池江璃花子(ルネサンス)が7日、自身のツイッターを更新した。
コロナ禍で五輪開催に反対する世論が強まる中、「辞退してほしい」「反対の声をあげてほしい」というメッセージが届くことに触れ、計5つの投稿で複雑な思いを吐露。「私たちアスリートはオリンピックに出るため、ずっと頑張ってきました。ですが、今このコロナ禍でオリンピックの中止を求める声が多いことは仕方なく、当然のことだと思っています。私も、他の選手もきっとオリンピックがあってもなくても、決まったことは受け入れ、やるならもちろん全力で、ないなら次に向けて、頑張るだけだと思っています。1年延期されたオリンピックは私のような選手であれば、ラッキーでもあり、逆に絶望してしまう選手もいます。持病を持っている私も、開催され無くても今、目の前にある重症化リスクに日々不安な生活も送っています。私に反対の声を求めても、私はなにも変えることができません。ただ、今やるべき事を全うし、応援していただいている方達の期待に応えたい一心で日々の練習をしています。オリンピックについて、良いメッセージもあれば、正直、今日は非常に心を痛めたメッセージもありました。この暗い世の中をいち早く変えたい、そんな気持ちは皆さんと同じように強く持っています。ですが、それを選手個人に当てるのはとても苦しいです。長くなってしまいましたが、わたしに限らず、頑張っている選手をどんな状況になっても暖かく見守ってほしいなと思います。」と、綴った。
池江のメッセージに「そんなこと気にしてなくて大丈夫です。オリンピック金メダル頑張って下さい!」「出てください!それが勇気になります!」「選手は競技に集中あるのみです」と、多くの激励のメッセージが届いた
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e51b09bbadae121c119588fdaf72f15b2604c4a
ーーーーーー(以上引用終わり)ーーーーーー
■よく読むと、いろいろ見えてくる池江選手の文章
はじめに読んだ時は、若いのに、よくまとまった文章だな、説得力があり凄いなと思った。
しかし、よく読むと、これは、大人(?)の文章だ。というよりも、プロの書く文章のようにも思える。やけに冷静だ。黒を白と言いくるめる巧妙さが目立つ文章で、ちょっと読んだだけでは騙されてしまうマジックが含まれている。
とても20歳のアスリートの文章とは思えない。だが、これが本当に池江璃花子選手本人の文章だとしたら凄いものがある。(だが、文章のプロが書いたものかもしれないと思った。)
池江璃花子選手のツイートが炎上したので、五輪推進派はやりにくくなっただろうか。池江選手自身も、あるいは他の選手を利用した巧妙な五輪強行論も、やりにくくなったかもしれないとは思うが、いくつか感じた問題点を書いておきたい。
五輪について「良いメッセージ」と「非常に心を痛めたメッセージ」と比較してものを言っている、この点でまず、ものすごい巧妙で意図的なものを感じさせられた。
つまり池江にとっての「良いメッセージ」とは「五輪推進論」「五輪強行論」で、「心を痛めたメッセージ」とは「五輪反対論」「中止論」なのだ。
池江に対して「五輪を辞退して」というのは「心を痛めたメッセージ」すなわち池江にとって「悪いメッセージ」なのだ。
五輪中止論は池江にとって「悪いメッセージ」であることが巧妙に隠されている。
■五輪推進論は「良いメッセージ」、五輪反対論は「悪いメッセージ」のすり替え
五輪推進論を「良い」ものとし、五輪反対論は池江への「悪いメッセージ」であると、巧妙にすり替えられている。ここにマジックがある。
池江選手は「辞退を求める」ツイッターでの書き込みの返事のように書いているが、巧妙に、それは「悪いメッセージ」だと印象づけようとしているのだ。官僚が書いた大臣の答弁の原稿のような印象がある。
「わたしに限らず、頑張っている選手をどんな状況になっても暖かく見守っていてほしいなと思います。」とは、「私を含む出場内定選手を、新型コロナウイルスが蔓延して国民が五輪開催に反対していても、それでも私たちを温かく見守って欲しい」という意味になるだろう。
このツイートは、池江選手が「見守って欲しい」と言えば、それが一定も程度尊重される、という池江の社会的影響力を分かった上で言っているのだ。
コロナが蔓延しようが、五輪で税金をどれだけ投入しようが、「がんばっている私たちを、見守ってくれ」というのだ。
こういう厚かましいツイートは本人にはなかなか書けないものだ。
なぜ厚かましいと感じるかといえば、オリンピックに出たいとは一言も言わないのに、ネガティブな意見(五輪中止論)には心を痛め、無言のうちに「お前らだまっていてくれ」という強圧的な態度が見え隠れする非常に巧妙な文章なのだ。
自分を始めとするオリンピック選手達は「がんばっている」のだから、応援せよというわけだ。
■がんばっているのは五輪選手だけではない
がんばっている私たちを応援せよとは虫が良過ぎる理屈だ
このコロナパンデミックで、多くの国民が「がんばっている」ことなどは一切触れないで、自分たちの頑張りだけを認めろという虫のいい、言い分なのである。
「オリンピックについて、良いメッセージもあれば、正直、今日は非常に心を痛めたメッセージもありました。」と良いメッセージ(五輪推進論)は肯定的なものとして扱い、批判意見(五輪中止論)だけネガティブに扱い、それでいて「見守って欲しい」などと批判を封じようとする一言を入れるのは文章の素人には難しい。これはプロの技だと感じさせる。
「私に反対の声を求めても、私はなにも変えることができません」と、まるで自分が辞退したからどうなるものでもないし、自分は辞退するつもりもないと宣言している。
これも言葉が巧み過ぎて舌を巻くが、読む人に「五輪は開催される」し「変わるものではない」と刷り込ませる文章だ。本人は「辞退するつもりなんかない」という宣言でもある。
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ここまで読むと、池江璃花子は政治の駒に使われて、国民から反感まで買って、損な役回りとなってしまう。気の毒だなと思う。
■ワクチンだってまだまだなのだ オリンピック選手は上級国民か?
ワクチンだって、まだ国民の2%にしか行き渡っていない。ワクチン担当大臣は、当初は開幕までに国民全体に...とか言っていたのが、最近は7月中に高齢者は投与が終了できると言うようになった。
首相は、一日100万人の投与を進めるそうだ。担当する自衛隊は困惑しているだろう。
素人には、どうすればこういう数字を口にできるのか、まったく理解できない。
そこで、オリンピック選手にワクチンを優先的に...という議論が出てきた。さあ出た「上級国民思想」だ。
■国民もがんばってはいるが、誰も応援してくれないぞ
だが、多くの国民は、オリンピック選手よりももっと「気の毒な状態」なのだ。
多くの医療従事者が休みなく働かなければならない状況だ。看護師も医師もベッドも医療器具も不足している。
また、コロナで仕事を失った国民は100万人を超えたという。実際にはもっとだろう。コロナのために解雇され、収入を断たれ住居を失い、その日食べるのにも困っている人が続出している。政府は、昨年は10万円給付を行ったが、それ以降、一生懸命生きている国民を応援はしてくれないのだ。
大人食堂というものが民間の手で開設されている。子供食堂と同様だ。その日食えない大人たちが列をなす状態だ。
政府(国)は、そういうことに何の手も打たない。
国民の不安は増すばかりだ。
池江選手の反論は、そういうことは無視して、「がんばっている私たち」を応援せよという。
虫が良過ぎるし、厚かまし過ぎると思う。
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■70%の国民が反対する五輪を、強行する政府と五輪推進派たち
聞くところによると池江璃花子選手は、電通傘下のマネジメント会社に所属しているらしい。
五輪出場辞退を求める意見に対して、あんな巧みな文章を本人が考えたのは凄いな、と考えていたのだが、どうやらそうではないように見受けられる。電通が背景にいれば、巧みな文章を書くプロは山ほどいるわけだ。
池江選手がどこに所属しようと自由だ。電通関連企業に所属していても構わない。
しかしそういう企業は、選手を、もはや社会問題、政治問題となっている五輪を強行するための駒にしているのだ。
そういうことはやめるべきではないだろうか。
池江選手を五輪のシンボルのようにして、白血病に打ち勝ち五輪出場にまで漕ぎ着けたすばらしいアスリートとして持ち上げながら、実は「五輪強行」のダシに使う電通をはじめとする五輪亡者達の餌食になっていると思うと気の毒でならない。
言葉のマジックに騙されて、池江選手を五輪に出させてあげたいなどと考えてしまっては、本末転倒というものである。
池江選手が書いたとされる「文章」に騙されてはいけない。五輪亡者達の作り上げたマジックでしかないだろう。
五輪亡者達は、日本の将来がどうなろうと知ったことではないのだ。今がよければそれでよいという集団なのだ。
だが、いま日本はそれどころではないはずだ。
インドのような惨状がひたひたと押し寄せてきているのである。
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