◆料理研究家の高木ゑみさん死去 ブログに「私は絶対に負けない」「生きるから」 2021.03.31デイリー
テレビやラジオに多く出演し、「はかどるごはん支度」などの著書もあった美人料理研究家の高木ゑみさんが28日、肺がんのため死去したことが公式ブログで発表された。35歳。
高木ゑみさんは昨年11月に公式ブログ上で、ステージ4の肺がんであることを公表した。「私は絶対に負けない」「私は生きるから。」とつづり、「文章だと暗くなるから」と、音声データを公開した。
その後も折りを見て、闘病記をつづった。11月13日には「脳から足まで、ほぼ全身にわたって転移して、ステージ4と聞いたときは一瞬血の気がひきました」と記した一方で、「かわいいかわいい子を残して、私は死んでられない。負けてたまるか!!」と、小学2年生の長男を抱きしめるツーショット写真を掲載した。
ポジティブにメッセージ発信が基本だったが、ときには「弱音を吐かせてください」というタイトルで正直な気持ちを吐露することもあった。
「でも体は正直で。まっすぐ、スタスタと歩けない自分がいます。骨に転移しているから骨が弱っていて、腰は放射線で痛みは飛びましたが足(股関節)が上手に動かせなくて。てすりをつかってヨタヨタと、おばあちゃんみたいに歩いています」と、歩行が困難になった病状を明かした。
それでも、グラノーラ店を開いたり、オンラインの料理コミュニティーを開設するなど、最期まで、料理を通してポジティブに生きた高木さん。「私が毎日病室で心掛けていることは『いっぱい笑うこと』。私の家族がにぎやかだから笑顔にしてくれるっていうのもあるけど、気持ちの持ち方ひとつで、行動や捉え方ひとつでこんなにも笑顔になれるんだってことを知ってほしい」と語っていた。
最後に自らの言葉でブログを更新したのが今月12日。オンライン講演会の開催を告知しながら、「今の私だからこそ伝えられるテーマがあることに気づいたんです。それは『どんな辛い時でも挑戦を続ける』ということです。誰にも予期できない絶望の瞬間は訪れる可能性があります。でも大事なのは『その出来事をどう受け止めるか?』だと思います」と呼びかけていた。
https://www.daily.co.jp/gossip/2021/03/31/0014200754.shtml
◆俳優・田中邦衛さん死去 88歳 「北の国から」黒板五郎役
毎日新聞 2021/4/2 18:18(最終更新 4/2 19:38)
俳優・田中邦衛さん
「北の国から」の黒板五郎役をはじめ多くのテレビドラマや、映画で知られる個性派俳優の田中邦衛(たなか・くにえ)さんが3月24日、老衰のため亡くなった。88歳。葬儀は家族で営んだ。
岐阜県生まれ。俳優座養成所を経て、1957年に映画「純愛物語」(東映)の脇役でデビュー。61年の「大学の若大将」(東宝)で加山雄三さん演じる若大将のライバル、青大将をコミカルに演じて人気を集め、シリーズの常連となった。「網走番外地」や「仁義なき戦い」シリーズでは、ずる賢いやくざ役など、あくの強い、憎めないキャラクターを確立した。
81年から22年間演じ続けた「北の国から」(フジテレビ)の黒板五郎役では、北海道の大自然のなかで2人の子を見守る父親像を感情豊かに表現し、役者として新境地を切り開き、代表作となった。
https://mainichi.jp/articles/20210402/k00/00m/040/225000c
◆ノーベル物理学賞・赤崎勇さん死去 92歳 青色LEDを開発
毎日新聞 2021/4/2 17:41(最終更新 4/2 19:24)
ノーベル物理学賞のメダルを披露する赤崎勇・名城大終身教授=羽田空港で2014年12月12日午後5時、喜屋武真之介撮影
青色発光ダイオード(LED)を開発し、フルカラー大型ディスプレーなどの実現に道を開いたとして、2014年にノーベル物理学賞を受賞した名城大終身教授の赤崎勇(あかさき・いさむ)さんが1日、名古屋市内の病院で肺炎のため死去した。92歳。葬儀は近親者のみで営む。
1929年、現在の鹿児島県南九州市生まれ。52年に京都大理学部化学科卒業後、神戸工業(現デンソーテン)入社。名古屋大工学部助教授、松下電器産業(現パナソニック)東京研究所半導体部長などを経て、81年に名古屋大工学部教授、92年に名城大理工学部教授。10年から名城大終身教授を務めた。
代表的な業績は、「20世紀中の実現は不可能」と言われた青色LEDの開発。LEDは60年代に赤と暗い緑が実現した。フルカラーを表現するには青が必要だが、技術的に極めて困難だった。
赤崎さんは名古屋大の教え子の天野浩・名大教授と共に、窒化ガリウムを材料に、基板との間に中間層を作る方法などを考案。結晶化を達成し、89年に世界で初めて明るい青色に光らせることに成功した。天野教授や、別の方法で実現した中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授と共に14年のノーベル物理学賞に輝いた。
青色LEDの開発により実現した白色照明は、蛍光灯に比べ大幅な省エネ効果があり、発電所のない途上国の人々にも太陽光発電で光をもたらした。ノーベル賞選考委員会は「革命的な発明。21世紀はLEDが照らすだろう」とたたえた。
また、青色LEDの技術を発展させた青紫色半導体レーザーの開発で、従来より大量の情報が記録できる「ブルーレイ」ディスクの読み取りなどを可能にした。01年には青色LEDの特許料収入をもとに、名古屋大が国立大では当時珍しい個人名を冠した「赤崎記念研究センター」を開設した。
97年紫綬褒章。98年英国ランク賞。02年武田賞。09年京都賞。11年文化勲章。14年恩賜賞・日本学士院賞。15年全米工学アカデミー「チャールズ・スターク・ドレイパー賞」など、国内外の賞を多数受賞した。
https://mainichi.jp/articles/20210402/k00/00m/040/213000c
ーーーーー(以上引用終わり)ーーーーー
■訃報が続く
3月28日に高木ゑみさん35歳が、 3月24日に田中邦衛さん88歳が、そして4月1日に赤崎勇さん92歳がお亡くなりになった。
亡くなられた年齢も、要因もそれぞれ異なるが、一時代をつくり多くの人に支持された人たちだ。
高木ゑみさんは、料理研究家として頭角を現し始めた矢先のことだ。小さなお子さんを残されての死だった。まことに無念だっただろうと思う。わずか35歳という人生これからという時だ。
田中邦衛さん88歳は、老衰と報じられている。映画「若大将」シリーズで一躍有名になり、代表作は「北の国から」。知らぬ人のない国民的俳優の1人だった。独特のしゃべりと、ひょうひょうとしたたたずまいが魅力だった。
赤崎勇さんは「20世紀中の実現は不可能」と言われた青色LEDの開発。これでノーベル物理学賞を受賞した。その後の日本の技術開発の世界の発展に寄与した人だ。92歳だった。肺炎と報じられている。
それぞれが、自分の分野で大きな仕事をし、多くの人に支持され、愛されたと思う。
直接、触れ合ったわけでもない人でも、映画の世界で親しんだり、知らず知らずその発明を利用していたり、美味しいものを紹介してくれた人はなぜか、親しみを感じるものだ。
そして、そういう人が亡くなると、なぜかとても心寂しい思いがする。
ひとは、何時かは死ぬんだと分かっていても、やはり訃報に触れると、心に来るものがある。
それぞれ、大きな存在だったのだなと思う。
高木ゑみさんの夭逝を別とすれば、一時をなした人が亡くなるごとに、昭和は遠くなったとかんじずにはいられない。
優れた人が少なくなってゆく感じだ。
今回たまたま近い時期に無くなられた三人の方のご冥福をこころから祈りたいと思う。
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