■エリック・フリードマンというヴァイオリニスト

 エリック・フリードマンは、僕の大好きなヴァイオリニストの一人だ。1939年にアメリカで生まれ、2004年に亡くなった。65歳だった。

 才気あふれる人で、10歳でジュリアードに学びガラミアンに師事し、ミルスティンやハイフェッツにも学んだ。とくにハイフェッツはフリードマンを高く評価し後にバッハの2重協奏曲の共演者に選んだ。ハイフェッツが自分以外のヴァイオリニストと録音した唯一のケースと言うから、その評価の高さは尋常ではない。

 

 だが、このことが原因で、フリードマンは一生のあいだ(いや、死んだ後も)「ハイフェッツの愛弟子」とか「秘蔵っ子」と呼ばれている。フリードマンの話題になると、必ずハイフェッツの名前が出てくる。一人の優れたヴァイオリニストとしてではなく、常に「ハイフェッツの愛弟子」「ハイフェッツの秘蔵っ子」だったのである。これが不幸でないはずがない。

 ハイフェッツのおかげで世に知られるようになったとはいえ、フリードマンにとってはうれしいことではあるまい。

 

 音楽家としての成功の一つにレコード録音があるが、フリードマンはあまりレコード録音に恵まれていない。

 

 ハイフェッツ張りの超絶テクニックと美しい音色などと言われるが、では、レコードではハイフェッツで事足りるじゃないかということになって、レコード会社も積極的にはフリードマンのレコード録音を企画してくれなかったようである。

 

 残されたレコードのリストを見れば、そのことがよく分かる。大物の協奏曲に限っても、ハイフェッツとのバッハをのぞけば、小沢征爾とのメンチャイ(これは最悪のレコード)と、ハイフェッツが録音を嫌ったパガニーニ、それにプロコフィエフがあるくらいだ。大ヴァイオリニストならだれでも録音したくなるベートーヴェンやブラームスの協奏曲は残されていない。これはフリードマンにとって不幸ではないだろうか。

 

 しかし、アメリカ生まれの優れたヴァイオリニストということで一応の評価は得て活動するが、なんと1980年に自動車事故で演奏活動から離れなくてはならなくなる。41歳という円熟期に入ろうと言う年齢で演奏活動を断念しなければならなくなった。これまた、フリードマンの不幸だ。

 

 その後は、教育方面で仕事をしていたが、24年後にはガンで亡くなったしまったのである。これまた、フリードマンの不幸である。

 二人に一人がガンで死ぬと言われている日本では、おなじみの病気だから驚きもしない。だが、ガンのつらさは並大抵ではない。フリードマンがガンの苦しさをさほど味あわずに済んだことを、こころから祈りたい。

 

 

■曇りのないフリードマンの芸術

 けして幸多い人生とは見えないフリードマンの残した数少ない録音から、たった一枚を選ぶとすれば「チゴイネルワイゼン」と題されたこのレコードだ。

 まだ20代のフリードマンの意欲あふれる一枚といえる。

 

 小品を集めたレコードだが、この中で素晴らしいのはサン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」だ。この作品は精神性はほとんど感じられない。華やかな技巧と、華々しさが身上で、当時のサン=サーンスの作品に共通するものである。精神性が高くなくとも、溢れるような情緒と心地よさで聴く価値のある作品となっている。

 

 まだ人生の不幸を知らない若きフリードマンが、ヴァイオリニストであれば、だれでもが自分の技巧をひけらかすために必ず取り上げるこの音楽に挑戦した。ハイフェッツもかくやと思われる目も覚めるような1高い技巧と美しい音色でこの名曲(?)を弾いている。

 

 もちろんサン=サーンスのロマンティックな一面や、哀感も十分に表現されているが、しょせんはできのいいヴァイオリニストが若さゆえの勢いで弾きまくっている演奏なのである。人生は大変だなどという予感すら感じさせない。

 

 ただそれだけだから、聴く人によっては、一回聴けば十分とも思われそうな演奏なのだ。にもかかわらず、私は、このレコードに強く心引かれるのである。なぜか。

 

 このような作品の場合、演奏は美しくなければならない。音色ももちろんだが、曲への共感度が高くなければならないのである。

 

 その後のフリードマンの人生を考えると、不幸を知らない時代の美しさにあふれているのである。ああ、人生はこのように「明るく」「幸福に」「美しく」始まるのだ。哀感を感じさせるにしても、ほとんど曇りのない状態で人は人生を始めるのだ。そう、思えてしょうがない演奏なのである。

 

 音楽に現れていない部分に、私は、涙が溢れてくるのである。こういう演奏に、勇気を与えられなければ、いったい音楽に何を聴くのか。