シャワーを浴びてから京ちゃんにそう告げるオレ。
さっきから心の中をサダ子の様に徘徊しているジェントル順が、風前の灯になりそうな理性の植木鉢に、必死になって水を掛けていた。
(そういえば昔、ピマーイでも似たような事あったなぁ…)
六年前の冬、イサーン(タイ東北部)にある小さな遺跡の街、ピマーイ。
そこで知り合った日本人のオヤジが経営する居酒屋で知り合ったバイトの女の子。
オレは、何故か彼女からやたらと気に入られてしまい、彼女の住む実家に泊まり込みで遊びに行くことになった。
周りに田んぼしかないド田舎に建つ木造二階建ての古い一軒家。
中に入ると、こんなんでホントに生活が出来るのかと驚愕するほどボロボロで、離れのトイレに至ってはケツ洗い用の水が入ったカメの蓋を開けると、見たことも無い様な数の蚊の大群が竜巻のように沸き上がり、驚いて飛び上がった瞬間にカットする前のウンコがジーパンに着いてしまう始末。
山羊の餌みたいな菜っ葉のぶっかけ飯を夕食で無理矢理食わされた後、夜になって二階の寝室に案内されるが、そこはただの屋根裏大広間になっており、薄暗い闇の中にうごめく彼女の兄弟姉妹や爺さん婆さん、それに父ちゃん母ちゃんや叔父さん叔母さんまでが、強烈に汚いペラッペラの煎餅布団やハンモックで爆睡していたのである。
そのど真ん中に掛けられた破れた蚊帳の中で、タオルケット一枚を巻き付けて寒さに震えながら横になるオレ。
身体をピッタリ寄せてくる彼女に興奮するどころか、雪山で遭難した男女が生きる為に身体を寄せ合う気持ちが痛いほど良く分かった…
(もしも今回あんな家やったら救急車呼んででも帰るぞ、絶対…)
ゲストハウスを出てすぐのところにあるマクドナルドの前で、そんな事を思い出しながらメンを待っていると、ドラ●もんのシールを貼ったヘルメットを被ったメンが、バイクに乗って登場。
『ここからどれくらいかかるの?家まで』
『スグ、スグ』
(はあ?確か店で聞いた話では、ここから結構離れた大学の近くでお母さんと二人暮らししてるとか言ってたよな?
アレって、メンのお兄ちゃんの事やったんか?)
『あ!メン!悪いけどセブンイレブンに寄って!』
後部座席からドラ●もんのシールに叫ぶオレ。
歯ブラシを買おうと思ったのだ。
セブンイレブンの前でバイクを停め、店に入ろうとすると、バイクに跨がったままのメンが"ちょっと待って"と手招きする。
『何?』
『コンドーム』
(だからヤラネ~って言ってるだろうがあっ!お前さっき家に招待したいだけって言うてたやんかっ!そんなにしたいなら役に立つようにしてみろっ!スパルタテクニックで!)
買わないと言うと、再び膨れっ面になるアバズレメンソール。
コイツは一体、オレの話をどれだけ理解しているのだろう?
『なぜ、買わない、コンドーム』
『し・な・い・か・ら』
歯ブラシだけ買って再びバイクに跨がり、すっかり涼しくなった深夜のチェンマイを疾走する。
が、ものの三分もしないうちに、小汚いビルの前の駐車場に入って行くメン。
(はぁ…やっぱり遠くにある家って、お兄ちゃんの家の事やったんやな。んで、このアパートにメンとお母さんが住んでるんや…ん?アパートにメンとお母さん…アパートメントお母さん!)
下らない事を考えながら、勝手にそう理解するオレ。
しかし、そんなオレの手を引っ張ってビルに入ろうとするメンだが、このアパート、どうも様子がおかしい…
『ちょ、ちょっと待て!メン、ここ、あなたの、アパート?』
『ちがう』
やっぱり…連れ込み宿やんか、ここ。
タイ語表記しか無いし分からんかったわ…。
『なぜ、ここに、きたの?メンの、家に、行くんでしょ?』
『お母さん、寝てる、ダメ』
(んな事ぁ分かっとるわい!それでもいいから来てってお前が言うたんやろがっ!明日早く起きてオレに朝メシ御馳走するって言うてたんと違うんかっ!?お母さんの件も最初に聞いたやろが、「寝てるし迷惑やろ?」って!お前、大丈夫しか言わへんかったやないかっ!一体お前らの記憶力ってどないなってんねん、医者行けっ!しかも国内の医者じゃ話にならん、ドイツ行けっ!)
『帰ろ…もぉ…』
『なぜ、帰る?、ジュン、あたし、嫌い?』
『そんなんやなくて、お前さっきから話ちゃうやろがっ!』
思わず日本語で声がでかくなるオレ。
するとこのアバズレ痴呆症、こともあろうにグスグス泣き出したのである、参った…
『わたし、お金、いらない、言った、200バーツ、もう、もらった、お金、それだけ、いらない、ウェ~ン…』
(オイオイ、何じゃこの展開は…でも、お金要らないって…一体どういう事なんやろ…)
『ジュン、帰る、わたし、さみしい、一時間、ホテル、いっしょ、それだけ、ウェ~ン…』
『……』
『ジュン、あした、チェンマイ、いないね、わたし、かなし、一時間、ホテル、いっしょ、それだけ、ウェ~ン…』
『……』
『ジュン、あした、トモタチも、メン、家くる、ごはん、お母さん、つくる、いま、一時間、ホテル、いっしょ、それだけ、ウェ…』
『もう分かったっつーの!ハァ…、幾ら?』
『ナニ?』
『ココ、ホテル、一時間、幾ら!?』
途端に満面の笑顔になるアバズレ女優。
フロントにいる毒ガエルみたいな婆さんに150バーツを渡し、ホラー映画に出てくる精神病棟の様な薄暗い廊下を、突き当たりまでメンに引っ張って行かれ、30年は閉じられたままだったんじゃないかと思えるほどボロボロのドアを開ける…
『う…わ………』
表面が所々破れたソファーと、長崎にある軍艦島に置き去りにされた様な鏡台。
元は何色だったか想像もつかないくらい色褪せたカーテンと、横になったら確実に南京虫の餌食になりそうな古いベッド。
そして、窓には鉄格子…
それらの絶望的なアイテムを、ただ呆然となって見つめるオレ…
父さん…蛍…、元気ですか?
父さんからもらった、泥のついた千バーツ札…
僕は今…それを破り捨ててでも逃げ出したい気分です…

京ちゃんが撮影したオレの自宅。
みんないつでも遊びに来てくれ。