1983年 僕は頻繁に玉突き場へと
出入りするようになった。
世にプールバーが流行り出すのは
この数年後のことだった。
古い雑居ビルの2階、まるで雀荘
の様なこの玉突き場は、決して高校生
が行くような健全な場所ではない。
ツイードジャケットを着た
渋めのおじさんのダンディズムと
彼らの喫む白い煙が充満していた。
僕らは大人と距離を置く年頃。
隠れ家に棲む大人達にとっても
歓迎されない筈の学ラン姿の少年。
しかし彼ら大人は意外にも
僕らに積極的に、また好意的に
関わってくれた。
彼らはキューの持ち方から
一通りの基本、そして何より
楽しみ方を教えてくれた。
当時、ビリヤードのプレイ料金は
時間400円程だったと記憶する。
昼飯代を浮かせては塾やお稽古ごと
の様に熱心に足しげく通った。
玉突き場ではまるで大人になった
気がしたのも僕らがここへ来る
理由だったのかもしれない。
そして四つ玉の渋いハスラー達と
ポケットを好む若い僕らは
お互いのエリアを侵す事なく
秩序あるシェアができていた。
親子程、或いはそれ以上離れた
おじさんと少年の
奇妙で和やかな関係が
僕にはとても心地よかった。
1983年頃、巷では何処へ行っても
有線から、デッドオアアライブや
フランキーゴーストゥハリウッドが
ヘビーローテーションされてた。
ユースピンミーだとか
リラックスだとか…頭の中で絶えず
リフレインしていた。
玉突き場では
店主の爺さん婆さんが
始めにクリープをたっぷり入れた
インスタントコーヒーを、そして
終わりには昆布茶を淹れてくれた。
昆布茶なら何度でも淹れてくれた。
だから僕らには、AMラジオ
しかかかっていない玉突き場は
全く気負いの要らない落ち着ける
喫茶店でもあったんだ。
J. JONEACH