男の子は少なからず
心には「冒険心」が
その何割かを占める。
また彼らの遊びは
冒険心と相まって
競い合う事も多い。
彼らにとっては
どれだけ危険なところに近づき
どれだけ危険な事をやってのける
かはとても重要だ。
PUSH気味の 勇気 とでも云おうか。
やがて少年から青年へ
そして青年から大人へと。
歳を重ねながら
守るべき家族や大切な者の為に
可能な限りリスクを避ける方へ
シフトしてゆくのは自然だろう。
PULL気味の勇気とでも云おうか。
PUSHであれPULLであれ
「勇気 」は出すものである
のは云うまでもない。
捨て身の人間はある意味強い。
捨て身の人間は何らかの理由で
捨てられたに値する様な過去でも
あるというのだろうか。
そういったことが少なからず
その人のその後の 職業 に
影響したりもするのだろうか。
職業とはつまり生き方という意味で。
政府の対応策が悪いだとか
テロに対する脆弱性にだとか
無責任に語る人はあまりに多い。
具合策は何も云わずに。
にわかも含め評論家は常に
後出しジャンケンだ。
彼は三度、渡航中止を直接要請
されたにも関わらず自ら
殺人集団の中に飛び込んだ。
彼は狂った国土にあって
「冒険心」を「使命感」と思い違い
単身人質解放に乗り込むという
まるで陶酔したナルシズムと
ヒロイズムを混同し錯覚して
しまっていたのだろうか。
そして彼は 生き方 であった筈の
自らの 職業 まで放棄してしまった。
戦場の子供達の現状を伝えるという
仕事を。
彼はそこに使命感を持っていた
のではなかったのだろうか。
想像の域を出ることはない。
彼は戦場の子供達の姿に
幼き頃の自身の姿を投影させ
哀れみを感じていたのだろうか。
もしそうであったなら
それを全うすべきだった。
自身を突き動かしてしまった
軽率ともいえるその行動原理は
その根っこにある哀音を克服
できなかったことにあるのか。
最愛の妻と幼き我が子の存在
ですら、その穴を埋める存在
にはなり得なかったというのか。
つまりは彼の生死観が。
人が皆、彼への哀れみに
一人の尊い命が云々と
まるで枕詞の様に云っている。
しかしその命を粗末にしたのは
彼自身の意志である。
空元気を出して飢えた猛獣の
檻の中に飛び込んだのだから。
彼の殉教劇場は
爆弾を使わずにテロを行える
ということを認識させただけに
留まらず、我々日本人の弱味
その根っこにある 哀音 という
脆弱性 を再認識させたのだ。
新たな恐怖のステージの幕
を開けさせるに至り、悪戯に
第二第三のテロ支援殉教者誕生
の因を作らせてしまった。
世界を征するならば
まず汝の悲哀を征せよ