3日目はリューベックを観光し、午後ドイツ第2の都市ハンブルグを訪問する。


ハンザ同盟の盟主リューベックは中世後期に繁栄を極め,「バルト海の女王」と呼ばれる。

1226年に帝国自由都市となり,13世紀から15世紀のハンザの黄金期に最盛期を迎えた。近世になってハンザが衰退するとともに,リューベックの栄華も過ぎ去った。だが近世以降のヨーロッパ経済の拡大に取り残されたことが,リューベックに古い街並みを残す結果となった。

ユネスコ世界文化遺産に指定されている旧市街は,トラーヴェ川とトラーヴェ運河に挟まれた中州にある。 強固な要塞門,ハンザ会議が開催された市庁舎,他のハンザ諸都市が手本とした聖マリエン教会など,レンガ造りのゴシック建築群が,黄金期のハンザ商人の力を偲ばせる。

Moin! Hamburg ~ハンブルグと北ドイツの旅~より引用


ホテルのすぐ近くにバスセンターがあり旧市街まで頻繁にバスがでている。フロントで聞くと全てバリアフリーになっているそうだ。タクシーで行くつもりをしていたが、車椅子をたたむ手間が省けるのでバスで行くことにする。

先ずは1駅目にあるホルステン門へ。朝早いので観光客は誰もいない。






リューベック中央駅から旧市街へ向かうと,まず目に入ってくるのがリューベックの象徴,ホルステン門である。威風堂々たる姿が往時の繁栄ぶりを物語る。ホルステン門は1464~78年に建造された。門を中心につくられた堡塁が旧市街を取り囲み,都市を強固に守っていた。

門の前に立ち見上げると,正面上部に金字でラテン語が刻まれているのに気付く。CONCORDIA DOMI FORIS PAX,「内は団結,外には平和を」という意味である。

ホルステン門は横から見るとやや西側に傾いている。これはもともと地盤が弱かった上に,防衛上の理由から西側の壁をより厚く(3.5m)造ったためである。

現在,内部は歴史博物館として使用されている。

Moin! Hamburg ~ハンブルグと北ドイツの旅~より引用


ホルステン門近くの観光案内所に寄った後、再びバスに乗車。市庁舎を目指す。
バスの中からトラーヴェ川、塩の倉庫を撮影。



バスを降りて前方に見えるのが市庁舎。



市庁舎
リューベックの市庁舎ではハンザ会議が開催され,ハンザ同盟の重要な意思決定がここでなされた。ゴシック様式で建てられた黒レンガ造りの重厚な外観が,質実剛健なハンザらしい風格を感じさせる。

まず目を引くのは円形の風穴をもつファザードと緑色のとんがり帽子を被ったような姿の複数の細い尖塔だ。同じくハンザ都市であるシュトラールズントやロストクの市庁舎も,同じような風穴と尖塔をもつ。両都市ともリューベックからの移民により13世紀に建設された娘都市であるため,市庁舎のデザインにも母都市の影響を受けたと思われる。

さらに,光沢のある黒緑色のレンガがリューベック市庁舎の個性を際立たせている。他のドイツ諸都市を見てみても,このような色のレンガは非常に珍しい。色の秘密は,レンガに牛の血と塩が混ざっていることだという。

市庁舎の建設は,13世紀前半,リューベックが帝国直属都市となってまもなく始まった。ほとんどの部分がレンガ造りのゴシック様式だが,マルクト広場に面した白いアーチ部分や東側の外階段はルネッサンス様式で建てられている。


Moin! Hamburg ~ハンブルグと北ドイツの旅~より引用

左前方のふたつの尖塔を持った建物がマリエン教会。(午前撮影)


(午前撮影)



(午後撮影)





市庁舎内部。(午後撮影)





隣にあるマリエン教会へ。10時にならないと内部に入れない為、教会の前に座ってい悪魔くんだけ撮影し次へと移動。



ドイツ語と英語で悪魔くんにまつわる説明が書かれてあった。
ざっと次のような内容である。

教会の建設が始まった時,悪魔くんはここにきっと酒場ができるんだ思い、嬉々として建設を手伝った。お陰で建設はものすごい速さで進んだ。ところが建物が酒場ではなく教会だと気付くと,悪魔くんは『なんでやねん!』と怒り出し、建物を壊し始めた。悪魔くんをなだめる為、教会のすぐ近くに酒場を建設することが約束された。このようにして市庁舎の地下にラッツケラー(酒場)ができるようになった。


白い建物はブッデンブローグハウス(マン兄弟記念館)。




ブライテ通り、正面の尖塔はヤコビ教会。




シッファーゲーゼルシャフト(船員組合の家)
レストランとして利用されている。



内部はドイツ国内の団体客でごった返していた。





朝からどんよりした雲がたちこめ、今にも降り出しそうな天候だったが、ついに雨に。カッパを持って来て大正解。

ゲンゲ、ヘーフェ巡り

ゲンゲとはガングの複数形で、ハンザ商人の館の裏庭に建てられた賃貸長屋。
ヘーフェはホーフの複数形で、ハンザ商人が建てた福祉施設。ハンザ商人の未亡人が暮らしていけるように建てられた館で、ガングに比べ規模が大きく、必ず中庭がある。








聖霊養老院 Heiligen-Geist-Hospital

リューベックのハンザ商人は,商業から得られた潤沢な資金により福祉施設を建設した。それは,施設利用者の救済のみならず,金儲けにあけくれる商人たち自身の,死後の魂の救いをも意味したからである。その好例が船員組合の家のほど近くにある聖霊養老院である。この施設は救貧院と病院を兼ねていた。
救貧院といえば,16世紀にフッガー家がアウクスブルクに設立したものが有名だが,リューベックの聖霊養老院は早くも1280年につくられており,ヨーロッパでもっとも古い救貧院のひとつである。


建物内部では壁にフレスコ画が描かれたホールと小さく仕切られた小部屋を見ることができる。


Moin! Hamburg ~ハンブルグと北ドイツの旅~より引用


外部は補修中。元の姿の写真で覆ってある。



内部。ベッドだけの狭い部屋。



部屋が連なっている。



隣のヤコビ教会内部。



燭台に手が…



カタリーネン教会。



マン兄弟が通った学校。まだ現役である。



ドイツ国内でよく見られるデパート、Karstadat(カールシュタット)リューベック店でトイレ(有料)&
ランチ。
デパート内の食堂はビュッフェスタイルで好きな物をお皿に盛りつけ会計で支払うスタイル。シーフードが美味しい。





朝訪れた時、閉まっていたので再度訪問したマリエン教会。


市庁舎に隣接するように,商人のための教会,聖マリエン教会がそびえ立つ。聖マリエン教会もまた,ホルステン門や市庁舎と同様にハンザ期のリューベックの繁栄を象徴する建物である。都市の中心部にあるのが大聖堂ではなく,商人のための教会であるというところに,商業都市リューベックの性格がよくあらわれている。

1250年から1350年にかけてゴシック様式で建設された。塔の高さは約125メートル,天井高は約83メートル。ドイツで3番目に大きく,レンガ造りではドイツ最大の教会である。

聖マリエン教会は北ドイツにおける最も重要な教会建築のひとつに数えられる。バルト海沿岸地域にあるおよそ70の教会がこの聖マリエン教会を手本にして建てられたと言われている。

また,青年時代のバッハが訪れたことでも知られている。バッハはこの教会のオルガニストであったブクスフーデの演奏に感銘を受け,無断で休暇を延長しまでもこの教会に通ったという。

残念ながら聖マリエン教会の建物は第二次世界大戦の際に爆撃を受け,大部分が破壊されてしまった。
在の建物は戦後復元されたものである。Moin! Hamburg ~ハンブルグと北ドイツの旅~


パイプオルガン。



爆撃で破壊された鐘。



ガイコツのステンドグラス。



最後の晩餐のレリーフ。左下のネズミに触ると願い事が叶うという言い伝えがある。



教会天井。



宿泊した駅前のホテル。



リューベック駅。



駅員(赤帽)の介助で車椅子専用車両に乗り込む。自転車も一緒になっている。
ハンブルグへ向かう。







ハンブルグではU-bahn(地下鉄)に乗って市庁舎並びにアルスター湖へ行く。全てバリアフリーだが、エレベーターが階段と並行して45度の角度で登って行く。





アルスター湖遊覧船。丁度土砂降りがあがったばかり。助かる。


市庁舎。





本来は、市庁舎近くのアルスター湖を眺めながら食事が楽しめるレストランFriesenkellerで夕食をとる予定であった。メールで問い合わせると、階段をかなりおりなければならないので車椅子では無理と言う返事があった。下見をしたが、やはり階段は危険なので断念する。
こんな感じのレストランです。



徒歩で駅まで戻り、伝統的北ドイツ料理レストランSchifferbörseで夕食をとる。
北ドイツの郷土料理Labskaus。



3種の魚の盛り合わせかな?英語では次のようなメニュー。






バイツェンビール小麦のコクがあり美味。付け合せのポテトもとても美味しい。



店内




美味しい料理に大満足してホテルに戻り、明日に備え休息をとる。

本日の日程。