先日、僕の個人会社は口コミで広がっていく、いわばネットワークビジネスで、つまりはまだまだ会員数も少なく非常に小規模で、至極僕の周りの人間にしか知られていない。
友人たちがメインで利用してくれる層なのだが、先日、僕のサービスを利用してもらった方からすごく嬉しい言葉を頂いた。
「良い友達をもった」と、冗談交じりに言われたその一言は、すごく、僕にとって深い言葉でした。
私は、先日の記事に書いたように、とある症状に悩まされていて、これまでの人生、
「1or0」の関係しか築けませんでした。一時的な関係、例えばクラスメイトなどとは、その繋がりを媒介するもの(学校など)が終わった瞬間0へ。というような感じです。私にとってそれは至極自然な流れで、別にそれだからといって苦労することもないし、むしろクラスメイトなんてそんなもんだと思う方もいらっしゃるでしょう。
ですが、私はそれがさらに行き過ぎるのです。
あえて安易な言葉で書くと、「要る・要らない」という傲慢にも見える考えで、付き合うのです。
クラスメイトは私にとって何をもたらす存在でも無く、単に記憶の集合です。
友達や何やらも、彼らが私の心を動かす、感動させる存在でなければ、引いては環境に依存した繋がりでしかないということです。
では必要な存在とは何か。
僕の心を動かす、感動させる、主観的で自己中心的な基準と、そして僕を必要としてくれる存在。
僕はこのような極端な白黒世界で見てしまう人格的な一種の障害を持っている。だからこそ、僕が必要とする存在があまりにも少ないこの世界において、逆に僕を必要としている人間も限りなく少ないのではないか、そう思ったのかも知れません。
自分を失う危険。アイデンティティの損失。私の存在とは?
このような葛藤に、半年ぐらい前、うつ病と判断された時から真剣に悩みました。
そして先日、明確にこの症状が見つかり、自分を見つめなおし、確信的に自分を変えたいと思えるようになりました。
余談が長くなりましたが、このネットワークビジネスは人と人との繋がりを作るビジネスです。
これを始めたのは、偶然内容が僕の専門に特化して組み込めるものであったのもそうですが、
元はといえば、存在する理由を、存在しているという自信を欲したのです。
親にさえ「のたれ死ぬ」ことを望まれた私ですが、
自分から今までと付き合い方を変えることで、「良い友達をもった」とまで、冗談であっても言ってもらえることは嬉しかった。
心が満たされる。結果、この方はすごくサービスにも満足していて、私も経営上潤滑に進んでいて、誰も不幸になっていないこともあり、すごく幸せな一瞬でした。
駄文でした。
これは備忘録。