人を狂わせ、ネットを炎上させる激辛麺
先月の話だが、ある女性タレントが小さい子供を連れ、《蒙古タンメン中本》で食事した折、待ち客から〈遅えよ💢〉と言われ、店から退店を求められた…というニュースが炎上した🔥
このニュース、私は身につまされた。10年以上も昔だが、まだ小さかった子供を連れ、《蒙古タンメン》に行ったことが(少なからず)ある🍜
子供の大好物は辛くない塩タンメンだが、確かに時間はかかった。待ち客に申し訳ない💦…と思いつつ、蒙古タンメンのスタンプカードも持つ子供を家に置き、自分1人で喰うのも切ない💧
が、一方で自分が待つ局面だと、チンタラチンタラ喰う客を見れば、〈遅えよ💢〉とも言いたい気分👊
件の女性タレントはブログで反省の弁を書き、夜食にカップ麺の〈蒙古タンメン〉を喰った由。メデタシ・メデタシ…か❓❓
ともあれ、《蒙古タンメン》はじめ激辛フードは、かように人を狂わせる魔力がある💀
この酷暑で疲れたか、食欲が沸かぬため、本日のランチは《蒙古タンメン》カップ麺(どういうこっちゃ)。
ただカップ麺はどうにも〈本物〉の代用にならぬ。《蒙古タンメン》の醍醐味は〈辛味の中に旨味アリ〉だが、カップ麺だと辛味が単調または直線的に喰い手を襲い、旨味のヘルプが薄い。
あの激辛ラーメンが完食し終えられ、また喰いたいと思わせる所以は、創業者・中本氏の智慧と試行錯誤の賜物たる〈旨味〉に他ならぬ。カップ麺を喰えば、その思いが強まる。
激辛な大名演 1938年のワルター/ウィーンフィル盤
〈音楽〉も激辛な曲に事欠かぬ。前にピンクフロイドの名作《狂気》を《蒙古タンメン中本》の〈北極ラーメン〉になぞらえたが、クラシック音楽の世界にも〈激辛〉な曲がある。
たとえばグスタフ・マーラーの〈白鳥の歌〉というべき交響曲9番。
■マーラー(左)とワルター(右)の師弟 from Pinterest■
のたうち回る旋律や、きしむような不協和音、突発的な最強奏…これを〈激辛〉といわず、どういおうか。
イージーリスニング的に気楽に聴ける音楽に非ず。いや、クラシック音楽マニア向けの難曲…かも知れぬ。が、幾度も聴き、その虜となれば、リピート必至の中毒性高き音楽と知れる筈。
ヤフオクで買ったレコードが届き、聴き惚れる。
1938年、ブルーノ・ワルターがウィーンフィルを振ったレコード。SP盤だ。ワルターはマーラーの愛弟子で、9番の初演もつとめた。
実質上、ウィーンフィルの音楽監督のようなポジだったワルターだが、師のマーラー同様、ユダヤ人ゆえの苛烈な迫害を受けた。本盤はナチスに併合されたウィーンにおける亡命直前のライブ録音で、ワルターとウィーンフィルの鬼気迫る演奏は勿論、客席の咳も音溝にとどめる。
2台のスピーカーの中央に、ウィーンフィルのステージが浮かぶかのように思われ、真夏の昼日中、1人で忽然となる🌀
圧巻は最終章のスタート。ウィーンフィルの何十丁という弦楽器は今や、ひとつの楽器となった。慟哭とも似た音楽は、紛れもない、ワルターに捧げる惜別の辞だ。
曲のエンディングは、苦い。または、暗い。世界大戦前夜ゆえか、あるいはマーラーの、ワルターの心の内ゆえか。
マーラー9番の醍醐味とは、辛味の中に苦味アリ…だったか。
しかしこの苦味、暗黒は、不思議な安らぎにあふれる。
マーラー9番の醍醐味とは、辛味の中に苦味アリ…だったか。
しかしこの苦味、暗黒は、不思議な安らぎにあふれる。
マーラーとワルターには、激辛な人生の終焉の先に、なにが在るのか、見通せたかのようにも思われる。