1976年の夏, ”洋楽鑑賞デビュー”なABBA
吾が国で人気な洋楽スターといえば、疑いなく最上位級なのが、スウェーデンの《アバABBA(…2文字目の”B”が裏返らぬ💦》。
吾が音楽鑑賞人生(❓)のスタートも《ABBA》抜きで考えられぬ。ラジオ番組《アメリカンTOP40》は”私の〜青春そのもの〜♪”だが、ネット社会の恩恵でいつから聴き始めたかも分かる。
アメリカのサイト情報によれば、1976年7月31日で、中2だった。
おお、ビンゴ💡 私の成績は以後、急降下だった(笑)。
小さなラジオにかじりつき、未だ見ぬアメリカに思いを馳せた。
TOP40の第10位がポール・マッカートニー&ウイングス《幸せのノック》で、嬉しかったが、いい曲か否か(今も)悩む。
そして同年9月25日、TOP40の放送は第40位 ABBA《悲しみのフェルナンド》でスタートした。北欧の透き通った空気や、湖の煌めく水面、霧の漂える森…が目に浮かぶような佳曲。
(当時、人気絶頂だった)ディスコなど騒がしいダンスミュージックの合間、一服の清涼剤のように思われた。そう、他の曲(ホボホボ、アメリカ産かイギリス産)と全く異彩を放った。
《悲しみのフェルナンド》はジリジリとランクを上げ、11月20日に最高位13位をマークしたのち、静かにTOP40圏外に消えた。佳曲とはいえ、今いちインパクトに欠けたせいか。
”地球”音楽な, ABBA ダンシングクィーン
私の中で未だABBAの存在が消え去らぬ中、年明けの1月22日、恐るべき”新曲”が初登場33位でランクイン。
世紀の大名曲《ダンシングクィーン》だった。
…が、ランク上昇のペースは至って緩やか。
33位➡26位➡19位➡16位➡14位➡9位➡7位➡6位➡5位➡3位➡2位…
もう、嫌がらせか💦…という寸止めスローペース。
そうして1977年4月19日、ついにTOP1に輝いた。
歴史に残る名グループ、ABBAの最初で最後の全米1位だった。
天辺とったのち、6位➡18位➡27位…と力尽きたようにランクは落ち、圏外に去った。が、振り返れば逆に、ぜったい1位とらせたる❢…というABBAファンの執念(❓)も感じられる。
全米1位に輝いたとき、私も嬉しかった。
ア〜ア〜ア〜アアア〜アア〜♪というコーラス、ぴっかぴかなピアノ。
《You can dance, You can dance…》という渾身の歌唱。
サビは”ついに天下盗ったゾ”という凱歌にも聴こえる。
《見て…あのコ…憧れのダンシングクィーンよ》
ミラーボールが目映いステージで、あのコは輝く…。
曲に入り込めた人は誰もが、有頂天だ✨
そうして世界中で永く愛される曲となった。
アメリカンTOP40は基本、アメリカ音楽の独壇場で、ときおりイギリスが脅かす程度。あまたの名曲が生まれたがゆえ、文句つける筋合いにないが、母国語に気持が込められるのは当然。”英語”が世界の共通語というアドバンテージは死ぬほど大きかった。
あるいはABBAは、言語や文化のハンディあればこそ、外国人にもどうにか分かって貰いたい…という闘志も生まれた。
あくまでも聴き手の目線(耳線❓)で貫かれた歌詞とメロディこそ、ABBAが今なお世界中で愛される所以とも思われる。
本日はUber Eatsで《新宿ランブータン》のトムヤムクン、マッサマンカレー等々をオーダー。”タイ料理歴30年”ぷーさん”監修”と銘打たれるが、日本人向けにアレンジされた、すこぶる優しい味。
トムヤムクンは昔、西海岸サンタモニカで酔い醒ましに喰った味わいが蘇った。アメリカ人にもどうにか分かって貰いたい…その思いが込められた料理だった。
マッサマンカレーは”世界の美味しい料理ランキング1位”とも言われるが、理由は不明。DEEPエスニックが居並ぶアジア料理では食べ易い味…ゆえとも思われるが、まァ、それはそれで喜ばしい事。
私は”本場風”にこだわる人間だが、1国の料理から”地球”料理に脱皮していく料理もまた好ましい。
そう、ABBAの音楽とは、”地球”音楽じゃあるまいか。
《ダンシングクィーン》に魅せられた、ひとりのイギリス女性がいた。
イギリスのDJ、クリス・エヴァンスによれば、彼女は《”ダンシングクィーン”が好きなわけ》をこう語った。
《だって、私はクィーンだもの…そして、ダンスが大好き》
英国女王、エリザベス2世だった。