《木綿のハンカチーフ》は, ”天下の大名曲”だ

太田裕美《木綿のハンカチーフ》ほど老若男女が歌える曲も珍しい。私も歌詞は憶えない派(❓❓)だが、珍しくスラスラ歌詞が思い浮かぶ。

 

で、なぜか…と考え、以下の3点にまとめた。

 

《木綿のハンカチーフ》の歌詞が憶えやすい理由
① ”若者の上京と恋の終わり”という、明快なストーリー

②しかも明確な”起承転結”がある
③ 男女の口語的な掛け合いで、余計な修飾がない

 

すなわち、作詞家のエゴが極力抑えられ、すこぶる聴き手に寄り添った歌。子供でも歌え、”いい曲だなァ”と思わす所以か。

 

そして(勿論)曲。

改めてSONYの復刻LP《心が風邪をひいた日》(⬆TOP画像⬆)で《木綿のハンカチーフ》を聴き、”曲の高い完成度”に驚いた。天下の大名曲だ。

 

で、再び、なぜか…と考え、以下の③点にまとめた。

 

《木綿のハンカチーフ》が大名曲な理由

①男メロディ(パート), 女メロディ(パート) の性格分けが明瞭

②端正で格調高いコード進行(主に女パート)

③哀しい内容が明るく歌われる高等テクニック(主に女パート)

 

次に歌詞と音楽の双方に目配りしつつ曲を追いたい(とりあえず”大名曲な理由②③”は後述)。

 

■太田裕美 直筆スキャン from LP特典■

 

まず、曲は往復書簡と思しき男女の掛け合いだが、それぞれ異なったメロディが振り当てられ、キャラ(ジェンダー)の違いが浮き彫りとなる。

 

男メロディと女メロディを比べれば、男メロディはどこか儚げで弱々しい。男は”恋人よ 僕は旅立つ”と宣言しつつ、”はなやいだ街で 君への贈り物 探す 探す つもりだ”と続ける。

 

都会生活への怯えや、恋人と離れる哀切がにじむ(…探す 探す…と、ドモってさえいる❓❓)。

 

が、女メロディは”い・い・えっ”と、勢いがいい”否定”からスタート、音楽もブンブン唸るベースと言い、男を圧倒する迫力。

 

が、”ただ都会の絵の具に  染まらないで帰って”という歌詞の繰り返しは、(当然)終曲を知る聴き手の涙を誘う。

 

半年が過ぎても、(いちおう)男は恋人を思い、”都会で流行りの指輪”を送る。

 

彼女はと言えば、ふたたび”い・い・えっ”と歌い、威勢のいいメロディにのせ、”あなたのキスほど きらめくはずないもの”と直球を投げ込む。もう男、タジタジな感じ。

そして男は”恋人よ 今も素顔で 口紅もつけないままか”と言い、微妙な心理と生活の変化が垣間見える。

 

有頂天で自分のスーツ姿が映った写真など送るが、彼女は”い・い・えっ”、”草に寝ころぶあなたが好きだったの”と答える。

 

そして最後。”毎日愉快に 過ごす街角 ぼくは ぼくは帰れない”。今度は”あ・な・た”で開始、”ねえ 涙拭く木綿のハンカチーフ下さい"で曲は終わる。

 

さて。この曲を初めて聴いた中1のときから、ずっと疑問に思った事があった。すなわち…・

《木綿のハンカチーフ》の大疑問

①あれほど愛し合った2人が、なぜ別れたのか❓

②彼女はなぜ、最後に”木綿のハンカチーフ”をねだったのか❓

 

①は本日、私なりに丁寧に聴き直した結果、腑に落ちた。

歌詞を辿れば、”変わっていく男”と”変わらない女”の”価値観の決定的(致命的)乖離”は明らかだ。

 

男はもはや彼女と自分の故郷さえ捨て、彼女は”草にねころぶあなたが好きだったの”と言い切る。中1じゃ分からないが、もう一触即発、互いへの信頼と敬意は瓦解の淵にある。

”価値観の相違”はつねに離婚理由の最上位ゆえ、やむをえまい。

 

それにしても男メロディと女メロディを比べれば、後者のほうが圧倒的に素晴らしい。

女メロディはナカナカ端正で格調高い(”大名曲な理由②")。終結部などザックリ言えばウエストミンスターチャイムの音楽(例の学校のチャイム)との相似が感じられる。

 

フルオーケストラかパイプオルガンで奏すれば、荘重な音楽ともなる筈。女メロディがこう結ばれると、もう男は押し黙る他ない💦

そして哀しい内容が淡々と、明るい曲調で歌われる(”大名曲な理由③”。ビートルズなど洋楽では珍しくないが、当時としては画期的にハイブローな音楽。であるがゆえ、子供でも楽しく歌えるものと思われる。

 

もはや、”女(パート)”の大勝。”最後のわがまま 贈り物をねだるわ”という台詞には”余裕”さえ感じられまいか。

 

45年の歳月を経て聴き直せば、彼女は決して捨てられた訳じゃない…とも思われる(❓❓)。

 

最後に残った難問は”なぜ木綿のハンカチーフ”をねだったのか💀

 

とりあえず《木綿のハンカチーフ》に似つかわしい食べ物を考えた。けっこう難しかったが(選定作業は省略💦)、アルバム《心が風邪をひいた日》のB面1曲目は《ひぐらし》で、これだ❢と思った。

 

ねぇ 私たち恋するのって 鞄ひとつでバスに乗ったわ

マクドナルドのハンバーガーと 煙草はイブをポケットに入れ

 

アルバムがリリースされた1975年、マクドナルドは未だ”憧れ”の存在だった。太田裕美が”マクドナルド”と歌う発声は誇らしげだ。

■from RONZA■

で、Uber Eatsでマクドナルドのビッグマック等々を注文、非番で家にいる娘と喰いつつ、《木綿のハンカチーフ》について話す。

 

🧔(私)なぜ、木綿のハンカチーフねだったのかね…ムシャムシャ…。どうせ関係が終わるなら、何も貰わぬほうがスッキリしそうだが。

👩‍🦱このままで終わらせねぇ🔥という意思表示でしょ。

🧔”木綿”は当時でも死語💀で、もう5年もすれば杏里が”コットン気分で👕”とか歌う訳だが…ムシャムシャ…。

👩‍🦱いやがらせよ。都会で木綿のハンカチーフ探せるなら、探してみろ💢な。コットンじゃ駄目だぞ…と。しかも買ったハンカチーフのブランドや値段も重要。”私への愛はこれほど安いわけ❓❓”と逆襲のネタになる…ムシャムシャ…。

🧔しかし、あの曲は同世代の女性にも人気があった。”耐え忍ぶ女性像”という社会通念もあったかも。

👩‍🦱彼女達が当時15才とすれば、いま還暦。耐え忍ぶ女性など(以下、危険トーク満載ゆえ削除🈲)。

 

そうして《木綿のハンカチーフ》を聴けば、結局、謎は何一つ解けぬままにも思える🌀

 

まァ、それが名曲の名曲たる所以か。謎は謎のままでいい。

 

ポール・マッカートニーに、”なぜ《ヘイ・ジュード》のコーラスで、《ナ》を597回くり返したのですか❓”…と問うても仕方ないように。

 

■from YouTube■