いよいよ千秋楽ですね。

いよいよ千秋楽ですね。

あれから1週間たって、ほとんど予習をしないで見た舞台は

まだ、自分の中で消化できないでいます。

森山大道写真展を見てゴールデン街を歩いて、

その後見た新次はまぶしかったです。



もしかしたら、とんでもなく方向違いの

解釈をしたのかも知れないのだけれど・・



新次は高度成長経済の時代を力強く、

ささやかな幸福も含めて手にしようとする当時の人の象徴で、

娼婦や架空の町新宿に生きる人は

その時代に社会の片隅に追いやられ、流れに身を任せて、

その町で生きる事が余儀なくされた人の象徴。



私はバリカンが一番理解できなかったのだけど、

その中でもがき苦しみ光と強さを持つ新次に思いを馳せ(こんな簡単な言葉じゃないのだけれど見つかりません)

世間から忘れ去られた自分の存在を誇示する為に

玉砕覚悟で新次と戦い同化しようとする存在。

そうすることで思いだけは共に生きようとしたのか、

自分を無に近い存在にしているその時代から逃れたかっただけなのか・・・



自殺研究会は、60年70年の学生運動の象徴でしょうか・・・



寺山修司は死の意味を常に考えていたと何かで目にしました。

(あってますか?)

本来原作はバリカンが主役なのですよね?

それをこの舞台は、新次を主役にすることで、

生きることの意味を

問うたのではと思いました。

バリカンの死亡年月日が平成の公演日になっているのも

意味があるのかも・・・

実は、その日まで戦いながら打ちのめされながら、

新次と共に生きたのではとも感じました。



もういちど、戯曲を読んで考えたいと思います。

そしたら次回は違う感想かも知れません。