久々の投稿となってしまいました
☆彡

投稿に心を向けなかったこと…
いえ、向けられなかったこと…
いえいえ、それどころじゃなかったこと!
(@_@)ガーン  (><@)ガーン (・・;)ガーン



勇気を持ってさらけ出したいと思いますトランプジョーカー

用意はいいかい?(いいよ~)



それでは・・・心のカギ開錠~(^-^; カチャ

open~
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まず、はじめに・・・


子宝に恵まれず…コウノトリがやっと私を両親の元に運んで下さったものの、生後3日目にして、新生児特有の病気に罹り、私は医師から死の宣告を受けたそうです。



しかし、消えゆく小さな命の灯火を助けて下さい…と神様に願い、院内で祖母の手厚い看病のお陰で私は尊い命を灯すことが出来ました🍀


天国の祖母には感謝してもしきれません…🍀
ありがとう🙏





私はシングルで
人生を共に二人三脚で歩む伴侶は見当たらず(^-^;)
頼りないけど、これでも私が自分の大黒柱(^_^)V



しかも、
3週間毎の通院(寛解ですが…)は必須で…


身体を使って生き甲斐を感じながら
楽しく働かせて頂けたお金で私の懐から捻出する治療費を潤したい!…



手を動かせること!
歩けること!
寝返りが出来ること!




それが出来なくなった時期があったから…
その反動が健康体だった頃よりも更にエネルギーを強くさせているみたい!




そんな私も…
2月より完全無職となり、🎵毎日~毎日~、求人欄に穴が開くほど目を通していても、
フルタイムの調理師、調理補助はないのです。



調理に関しての市場は狭く…
毎日食べても飽きることのない大好きなお蕎麦も…
お蕎麦屋さんは市内に、最近出来た一件だけで…
そう言えば、まだ行けてないなー…



私にとって無心になれる好きな作業は、
掃除や片付け!



少しずつ私の主観で母に見つからないように処分しつつ(夫婦でお箸一膳から買い揃えて来たー!の勿体ないバージョン搭載なので…)


そのままコロナ自粛期間に移行、
違和感なく受け入れていました。






両親とは、生まれて3年間だけ離れて暮らしましたが…
後はずっーーーと一緒で、
母とは少し心に距離を保つことで、
私自身を支え過ごして来ました。



家族間だからって、
母からのネガティブワードの発信は
決して心地良いものではなく

独自の趣向で偏見を伴ったワードの数々には
閉口!




七転び八起きで培った宝物の経験からつくられた心臓に、いくら剛毛が生えている私でも…

本当はガラスのハートピンクハート!?
そこに刺さりまくります~ハートブレイクア~




私は…-=≡ε=ε=ε=逃げるようにその場から退散!自室へ直行便!
引き篭もり、ミュージックスタート!





そんな母は・・・
在職中、突発性難聴になり、

今では補聴器を付けても全く聴こえてなくて
右の耳元でゆっくりと滑舌良く喋らないと
伝わらず、
若しくは、筆談は最優候補!



白内障と緑内障の点眼薬は仲間!



声は大きく段々啖が絡んで舌を巻き込んだような発声になり、
聞いてても苦しくなります。

家の隅々まで声が響き渡っていました。






母の在宅介護に昼夜問わず、
魂が呼ばれるままに向き合い…

年齢も父が一つ年下で
(元々誕生日は同じでしたが、父の方が4月1日にして母と同じ学年と言うことになりました…)
老老介護の身の父の心配もしつつ・・・


親といえ、在宅介護は、辛くて
自分がどうにかなりそうでした。


身も心もよれよれ~

いつ、共倒れになるかと…

先の未来も考えられない


黒一色の渦巻きのような世界に
白のペンキを突然投下され

世界でたった一つ
人生模様!
マーブル模様のような…



その渦巻きに日々、
経験と心の修養を

そして待ったなしの介護実績を
天こ盛り盛りで過ごしていました。




だから今、書けるブログなんです。




母は今頃、
介護老人保険施設(老健)リハビリセンターの
車椅子を早業でビュンビュン動かしていると思います。




スタッフの方々から、
「お元気ですよ~」
「車椅子、速いですよ~」と


いつも洗濯物の受け渡し日にお褒めをいただいております。
制限付きの面会もこれから少し先です。





要介護5 寝たきり状態からの入所が
今では
LINEに送られてきた母が
シルバーカーをビュンビュン押して歩いている動画に



「歩いている!」と
信じられない驚きと嬉しさに笑っちゃいました~







今では5月20日(水)~8月20日(木)の
3ヶ月間の予定で、
介護老人保健施設(老健)リハビリセンターで
リハビリ頑張っている母ですが・・・





本格的な母の在宅介護、
寝たきり状態要介護5に入る前の要支援2の時

家の前のケーブルにとまった2羽のカラスの鳴き声が気になり、
手にしていたスマホをから


私のブログに初コメントを下さった方のブログを訪問すると、削除されてて…



さっきまで…が…
えっ!?となり、
エールも送信できないで…
もーショックで気落ちしちゃって
寝込みそうと思っていたら…


母がその数日後、
寝たきり状態の要介護5の状態に突入して
しまいました。






そんな母は…
14年前の、2006年(平成18年)2月に背骨を圧迫骨折しました。


誘われた旅行当日の朝のアクシデント!
起き抜けの布団の端っこに足が引っかかり
転倒したものの転倒したことを隠し
車で何食わぬ顔で旅行したという…
強靭な精神の人であります。


思い出の宿が廃業となる最後の宿泊だったことと、
お誘いを断ったらもう誘ってくれないかもしれないとの思いから、
家族の大反対を押し切って自ら強行突破しました。

その日の夕食時にはムカムカして
宿のご馳走に手を付けられず…

帰宅後、即、整形外科へまっしぐらー💦











それがベースとなり…
昨年の10月に玄関先で転倒し左肋骨を骨折、
左下肢に痛みと腫れが残り、


今年の3月よりレベル低下がみられるようになり、

要支援2認定で4月10日(金)より
訪問看護での入浴・清拭、15時~16時、
週2回の火曜・金曜


かかりつけのクリックの奥様の看護師さんに
お世話になることになりました。




クラリスとムコソルバンを
気休め程度に内服していましたが…


16日(木)~17(金)の夕より、
不眠と左肋骨の痛みにより

・サインバルタ(抗うつ薬*SNRI)
痛みに効果があり、しいては 眠りが安定感するといわれています。長期服用にて効果大。

・デパス(向精神薬*精神安定剤)
不安、不眠、鎮痛に効果があります。
(頓服、一回一錠の内服)

が新たに加わりました。




この薬を飲むと
左肋骨の痛みも緩和され、
よく眠れるようになりましたが、

17日金曜15時からの入浴サービスは
だるいと言い、
パスして翌18日(土)も清拭だけにしました。


よって、
その夜18日(土)は デパスはやめてサインバルタだけ内服しました。



19日(日)と20日(月)の昼食までは比較的、
体調も良いように見えました。


腰掛けてる時間が長く保てていましたが、
昼食後から、ベッドへ移動して、
夕食は起き上がるのがたいぎになり
そのままベッドで夕食を食べました。


母は21日(火)朝から、
起き上がれない状態になり
訪問看護の入浴サービスの時間15時に
看護師さんがみえて、
異変に気付きました。


脱水によるものと考えられる発熱、
血中酸素濃度が86パーセントまで下がり
(健常者は96~99パーセント)
入院か在宅か否かの選択を迫られましたが…



延命治療はしない、
入院はしない、
自宅で最期を迎える が
母の希望なので、
そのまま、自宅で…




医師から
身内の方に連絡を…
5月まで命はもたないだろう…
今が、峠…と…告げられました。



(私の5月からの就職先も決定していたのですが、あちらも待機して下さっていましたが、辞退しました)





翌日22日(水)、親族が来てくれて…
親族が帰った後午後7時頃、
血中酸素濃度が40パーセントまで下がりました。




来てくれた叔母の看護師が
「う゛ぅぅっ~~~ と、うなっているような、あの呼気は、本人じゃないらしいよ。何かが本人に言わせているらしいよー」


(今、気づきました、ほんとだー“呼気”は呼ぶ気なんだね!
一体、誰と向き合っているの?)



と…



私もそれは肌で感じるものではないですが、
なんとなくそうなんじゃないかなーと思っていたので、私の中では納得しました。



本人には視えているらしい…とは同じ立場の方からも聞きました。




圧縮された、空間と有限の時間との狭間で
尖った魂の叫び! 
でしょうか?




 

寝たきりになる少し前のお昼寝の時は、
欲求の時に声が出ていたくらいだったから…
うめき声はなかった。

「うどんが食べた~い、うどんをくださ~~~い、早く食べた~い」

と…

暫く様子を見ていたら、
うどんが出てくるまでエンドレスで言うので、

私「うどんは、今、家には有りません、
今は、これを食べて…」と言うと

うどんが登場しなかったので、
選択肢を次から次へと…変化球!


今度は
「ラーメンが食べた~~~い」
「鰻が食べた~~~い」
「お菓子が欲しいな~食べた~~~い。
お願いします。食べさせて下さ~い。
食べさせてーーー ムニャムニャ・・・」


と、食べている真似をして
一人芝居の女優さんでした!

こんな感じでしたから…

まさに、子ども…でした。









(昔勤務していた養護老人施設でも、お年寄りの方々は…昼食後、居室へ戻らず、
3時の手作りおやつの調理中の美味しい匂いに誘われて、その場(食堂)で待機中で!

ま~だだよ!と教えてあげても
配膳一等を狙い待ち?にただただ、脱帽! ハハー

それに、歌や踊り演芸などの慰問にみえても、
いつもお決まりコースの昼食後なので、

🎵ねんねんころりよ、おころりよー🎵と、
益々調子を挙げて爆睡中で、閉幕中!

しかし、豆まきの豆の時は違ってたー!
目がギンギラギンで、お年寄りから通過した
豆を拾ってあげようと思っても
期待を裏切られて!

ニッコリ職員間で笑顔のラブコール💛でした。
実話より…)



お年寄りはみ~んな、仲間!
子どもと一緒で仲間!



母を介して、
一瞬に溢れるお笑いバージョンを勤務していた頃を思い出させてくれたー。
ありがとう!


お話が大幅に脱線してしまいました! ペコリ







あのうめき声からすると…
医師からは、寝ているようにすぅぅっーと
息を引き取ります…とは、

ずいぶん、違い過ぎました。






血中酸素濃度40パーセントだった22日(水)の
早朝23日(木)コップからの水分補給後、

「あれは、要らない」と
指差す母の先をふと見ると、


水分補給の為の点滴…
それから点滴のチューブを目で追うと…

 
チューブが抜けてる!
いや、きっ、きっ、切れてる?



と、母の布団をガバッとはぐると、
パジャマがお腹のところ血塗れで…


母は此処は病院で検査をされていると
思ったらしくて
無意識に反抗してらしい。


左手の点滴を痛くて横向きも出来ないのに
チューブを切る為に暴れながら切ったみたい
でした。





知り合いの看護師さんも、
時々ハサミや手で引きちぎる患者さんがいると
言ってたから、

火事場の馬鹿力が働くのかな?と、
びっくりさせられました。






22日(水)午後7時に血中酸素濃度40%だったのに翌日から少しずつ増えて、

結局一週間後には92パーセントまで回復しました。

この日は28日(火)で私の誕生日の前日でした。




母が私へ馳せる思いは ざんげだったり、

私の誕生日から母と私、
二人を繋ぐリボンをベッドに結びました。
母の要望で!
何てスピリチュアルなんでしょうと思ってしまいました。





私は更にアレルギー性結膜炎まで引き起こしてしまい、
両瞼が赤く腫れて免疫が低下してしまいました。


母の在宅介護2ヶ月近くまともに睡眠に就けていない状態でした。




だから…

母からの、「一緒に頑張ろう!」に
正直心が折れていました。



「頑張り過ぎてダウンしそうなのにこれ以上、頑張れない!」



と呟いてしまったので母の顔が急に変わり



「可哀想に、ごめん…、その目が腫れた顔見たら辛くなるから、自分の部屋で早く横になって…私はまだまだ元気だから、今から泣かないでいいから…」
と言ってくれる。




痒くて瞼が腫れているから違う…と
伝えても耳元でハッキリと声か筆談でないと
伝わらない。



身体の向きをかえるのも痛がり、母を介護するのも難易度が高い存在でした。



おまけにいらちで、
適当や手抜きが、掴めない私は初めてだらけの
在宅介護で…


座薬を入れたり
便秘後の宿便や、下痢便、



母自らオムツを外して、
私の手を煩わせないようにと
オシッコを袋に入れて始末をしようと失敗して
夜中に騒動を起こしたり…



私がアレルギー性結膜炎で眼科を受診している時、
母がオムツを外してウンチまみれで
助けてコールが父から連絡が来たり…



何事も不器用な父が慌てふためいている様が
目に浮かび、
私は飛ぶようにして急いで帰宅しました。




私は、一瞬、
どこから手をつければよいのか、
パニックになってしまい…



父が私の留守中どうにかして自分の手で何とかしようと精一杯向き合って頑張ってくれた行為の筈が…

さらに私に追い打ちをかける…


父が素手で触った箇所がすべてウンチまみれで…


有り難さを通り越して、両親がとった行為が
私の知らなかった惨事を見せてくれました。




私は、情けなくて魂を叫ばせながら、
わめき散らし
大泣きしながら



「私の事思ってくれるんだったら、大人しく、オムツしてて!お願いだから…」と



凄いエネルギーを消耗して、使い果たしてガックリしながら、次から次へと続く作業を一人で
こなしていました。





また、
YouTubeでウンチの時のおしめ交換の動画を勉強したり、


訪問看護の時はオシッコのみのおしめ交換だったので、
看護師さんにザックリと教えて頂いたり、

ぶっつけ本番でキャリアを積むしかなかった

おまけに肛門も複雑な形状だし…





母の復活劇は脅威的なもので、
ドクターも今までに例が無かったこと、


併せて、包括支援センターのケアマネージャーさんも
要支援2からいきなり要介護5へと、
10日間程で急激に移行するのも無かったことと
驚かれていました。



母は、肺炎と発熱で、強い抗生剤を点滴しても元通り!



黒便の検査も最悪状態で、吐血をしたら救急車の手配を!と言われ、


それでも消化の良いお粥ではもの足らなくて、
「死んでもいいから、よく噛んで食べるから」と
普通食をせがまれ、


覚悟を決めて飲み薬も服用していたら、
普通便に戻りました。








母は今、リハビリセンターで別人の如く過ごしています。


5月20日(水)に入所した時にCTの検査をして、
その検査結果を画像を観ながら説明をするからと先週訪れたところ、母は私の苦手な医師にハグしていました。


その医師も私の顔と母の顔を見ながらニッコリ!
その笑顔を忘れないでくださいね!
オーラを私もお届けできたかな?





私は検査結果だけを聴きたかったのに、
私がその時初めて観るCT画像にその医師は
「この白い影は何ですか?」
と反対に質問され、

突然の前代未聞の医師からの予想外の質問に
私は口ごもり…答えられなかったので、


その医師は開口一番、
「何であなたは此処に来たのですか?えっ!」と雲行きが段々怪しくなり…



医師と私のやりとり…
その一部始終を無言で温かく見守ってくださっていた周りのスタッフの方々の温かい眼差しに
感謝しつつ、



最後にその医師は
「ここは病院じゃあない!」と言い放って
尖ったパワーに私は母をみてもらっているし、
降参しました。
しかも、センター長だから…


最悪の検査結果だったら、もっと凹んでいたっけ(;_;)/~~~


私が検査結果を求めた訳では無いのに、
そのセンター長の医師の理不尽な態度に、
その後担当のスタッフが心配して
申し訳なさそうに声をかけてくれました。



忙しくなると機嫌が悪くなるのだとか・・・


みんな違って認め合い、どちらの世界もびっくり玉手箱です。





こちらリハビリセンター入所前の
かかりつけの訪問ドクターは、
母は大好きでした…私も!



穏やかに分かりやすく質問に応えて下さるのです。


書類の訂正をドクターに質問した際にも
「加トちゃん、ぺっ! 」でお願いしますと…
ギャグのセンスに脱帽しました~!



訪問看護に来て下さった看護師さんは
ドクターの愛する奥様です。



可愛くて人柄も同性の私も惚れ惚れするくらい❤優しく寄り添って下さり、
ずいぶん助けられました。家族全員!
ほんと、感謝です!

天性のお仕事を全うされてて
白衣の天使でした❤



母の酷い時の直球を太陽の心で解きほぐし、
うんうん、頷きながら、
寄り添い癒やしていだだきました。


(痛がっている母をドクターの病院へ救急搬送してもらおうと、母に伝えず、父と二人で結論を出したら、
「病院へは行かない!私は家がいい!」と鬼の形相で暴れました。


その時、全身全霊で全てを受け留めてくださり、人として、尊敬に値する方、ただただ、申し訳なくて頭を何度も下げました。






黒便が出てなかったら…
こちらのドクターの病院で
お世話になることを母納得で最終的に
決めていました。個室で…



しかし黒便は、専門外の診療科目ということで…

今、入所しているリハビリセンターは
グループ経営でお隣の病院と併設していて、
頼れるところだからと入所の際にも意見を下さり薦めて下さいました。




家から近くて、
全てがタイミングよく入所出来て、
母も喜んで…
人恋しさを浮き彫りにして、
リハビリ頑張っている…









すべてが…、何一つ欠けてはならない
大切な経験だったのですね!


きっかけから愛の結晶ができ、
幾多の魂と共に今世へやって来た


そして、
色々な人生の節を乗り越え
来世にまた
そのきっかけを届るために・・・🍀




命の峠を乗り越えて、
今、私は山頂にいます。


母の介護も
そして、
まだ手付かずの父の介護も
決して遠い未来のお話でなく…



命ある限り、命と向き合い、
魂が納得して
あちらの世界に昇れますよう…



誰もが唯一無二の尊い存在で
私の人生をこれから頂上より、
足場を確かめ、踏ん張って生きていきます。



下り坂は上り坂より、慎重に・・・

膝への負担も加重ですから・・・



最後まで、心を寄せてお読み下さり、
ありがとうございました🍀






あっ、それから~

素敵なご縁を頂けて・・・

明後日6月22日(月)から、潜伏期間5年を経て
希望の正規職員として採用を獲得することが出来ました🍀

大好きな調理の道に進むことが出来ます🍀

ここまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。

感謝と共に

毎日を素敵に輝かせていけますよう
頑張り過ぎず、頑張ります❗



最後に・・・
読み辛い箇所が多く存在していたと思います。


最後まで
お付き合い下さり誠にありがとうございました🍀