うつ病の方が回復してきたと思った矢先に、ある日私は日赤内科で膠原病の宣告をされた。

全身性エリテマトーデスだった。


今度は膠原病との闘いが始まった。

薬が沢山出た。


思い出せば、妊娠中は順調だったが破水してすぐに分娩室に入って分娩の準備にかかり、食事をしてから陣痛を待っていたが、そのうちに、やけに熱っぽくなり、体温を測ったら、40度くらいあったと思う。


これはいかんと、医師の判断で緊急に、帝王切開をする事になった。


下半身麻酔だったが、頭はボ~ッとしていた。


1992年2月27日、夕方4時48分に息子は産まれた。


「男の子ですよ!」の声でハッと気づいた。

助産婦さんが「どしたどした!」という程、元気な泣き声だった。


「まだお腹にいたかったのかな」と助産婦さんが言った。


そしてボ~ッとしている私に、産まれたての子の手と握手させてくれた。


それから私はしばらく高熱で、一週間近く、息子に会いに行けなかった。


トイレに行くのにも、切開の傷が痛すぎて、歩くのが大変だった。


それでも心の中では(行かなくちゃ。君に会いに行かなくちゃ)と思っていた。


やっと熱が37度くらいになり、息子に会いに行く時私は、涙が溢れ出て仕方なかった。


初めての我が子との面会。我が子は可愛かった。


不思議と当時は何故か周りは女の子ばかりだった。男の子を産んだのは私くらいだった。

なので特な気持ちだった。


だが、体力のなかった私は母乳がなかなか出なかった。


そして3月7日、親子元気に退院した。


幸いにして身体の弱かった私にしては、健康で産まれてきた事は有難い。


その代わり、私は膠原病になってしまったけど、息子が健康であれば自分が病気になったのはかまわない。


膠原病で日赤内科に通院していて、ある日、同じ病気の奥さんが、どなたかと話をしていて「病気になったのも有難いと思っているのですよ」と言っていたのが聞こえ、その時は私は驚いた。


病気になっても有難いと思える。


そう、「難あって有り難し」とは、こういう事なんだ。


いかに健康である事が有難い。という事か。