満足するかしないか。
twitterでもつぶやいたのですが、
電車の中で、自分自身の存在って何なんだろうって
めちゃくちゃ考えました。
何十億人という人間がいて、数え切れないほどの生物、植物がいる。
その中で、今見えている、今考えていて、この意識を持っているのは自分だけ。
何だか、他の人は自動で動いていて、
私はゲームの中のプレイヤーではないのかと思う時もある。
街ゆく人、ひとりひとりに幼少時代があり、思春期があり、大人になって、
年をとって、死んでいるというのがとてもリアルに感じられないのだ。
そこから、死についても考えた。
この意識が、死んだ時。どうなっちゃうんだろうと。
電車の中で一人。
非常に怖くなってしまった。
怖さをなくすために、死ぬときの想像をしてみた。
病院のベッドの上で
周りには子供、孫、奥さんが見守ってくれている。
入院してからは仕事の人や、仲間などがお見舞いに来てくれる。
それでお互いに感謝を言う。
奥さんにはちゃんと『お前と一生を過ごせて幸せだった』と言う。
そして、
孫はよくわからずに、私にじゃれついてくれる。
小さな手で私の手を握ってくれる。
子供たちは私の体を触り、奥さんは孫と逆の手を握ってくれている。
そして、私は静かに目を閉じる。
こんな幸せな結末がいいな。