接客業…。常に笑顔でいなければならない仕事です…。
小型じゃない❗️❗️❗️
でも、さすがに辛かったです…
彼の訃報を聞いてからの一週間程は…。
なんとか、笑顔は作れても、お客さん
と目を合わせる事は無理でした…
毎日、涙が止まりませんでした…
小学生の時に母親を亡くしたから大丈夫だと思ってたのに…。
身内とは違うんですね…。
闘病中の様子も、ましてや、
臨終に立ち会ってもないのに
お葬式に出向いてもいないのに、
元気だった時の姿しか覚えていない
のに、
何も知らず…
何も気づかず…
もうそろそろ東京にと帰って来る
思ってたのですから…
(最後のメールは荼毘に付されてる時に送ってたかと思うと…)
現実を受け入れる事は
出来ませんでした…
だから、最初の月命日にはお線香を
あげに行きたかったのです…
どうしても自分の目で確かめずには
いられなかったんです…
それが、まさかの、私にとって
大冒険?になるなんて…
それも、1人で❗️❗️。
しかも乗る飛行機が、思っていたより
小型じゃない❗️❗️❗️
更に台風 の影響で九州方面が欠航
でももう搭乗手続きしちゃったし
マリア様のメダイと、
彼からもらったグアムのお土産です。
怖くて 心細くて
ずっ〜〜っと、
形見になった小瓶を握りしめてました。
台風の影響で「がだ揺れ」の機内…。
ほんっとうに、マジに、
「私の命は機長の手の中にあるのね…」
と、ある意味覚悟もしてました
でも、無事に空港に到着出来ました
でも、別のビックリ‼️が❗️。
私が飛行機を降りた空港、
山口の岩国錦帯空港🛬。
小型の戦闘機がズラ〜〜っと
並んでるんです
自衛隊とアメリカの空軍基地も隣接
してるとかで…。
そして、無事に、迎えに来て下さった、
彼のお父さんとお姉さんに会う事が
出来ました…
錦帯橋を案内して頂きました
ご自宅で、
彼のユニフォーム姿の写真やら、
甲子園出場した時の雑誌の記事や、
甲子園出場した時の雑誌の記事や、
宴会ではしゃいでいる写真とか、
楽しんでいる彼の姿を沢山知る事が
出来ました。
そして、ご好意で彼の写真を何枚か
頂きました…。
でも、ちょっと、困った時があって、
それは、お父さんが
父「この写真も、持っていくけ?」
なんと、それは、祭壇の写真!
姉「お父さん!それは…」
私も、
私「さすがに、その写真は…」
寡黙な彼のお父さんは、
とても饒舌な方だったんです。
(彼は、お母さん似かと思いました)
仏壇の前の小さな箱に入ってしまった
姿を見ても、
私はこの時は、泣きませんでした。
お姉さんは、彼が配達に乗ってた
トラックの写真を見たら、
泣き出してしまっても…
彼が帰って来るとよく行くラーメン屋
さんにも、連れて行って頂きました。
そこのラーメンは、私好みの薄味で
美味しかったです。
彼が食べたかったんだと思います。
(私にも食べさせたかったみたいです)
翌日、台風一過の白い空に青い山並み
がとても綺麗でした。
(自分の故郷の景色を見せたかったようです)
帰りは、又台風の中のフライトで
でも、無事に羽田空港に到着。
無事に帰宅後、彼のお姉さんに報告。
そしたら、涙があふれて止まらなくて、
四十九日まで、毎晩涙が止まりません
でした…。
でも泣きたい時に泣く事が出来ました。
そして、四十九日を過ぎたら、
泣かないでいられるようになりました。
「天空からのメッセージ」
お伝えします。