昭和◯◯年6月3日(月)午前7時52分。

最愛の母が

天空へと旅立った日…。


当時

小学6年生の私には

現実を受け入れる事が
出来るわけありませんでした…😥


数日前まで自宅で寝込んではいましたが
意識ははっきりとしていた母と


もう二度と


あの声優しいも聞く事が出来ない…
あの暖かい眼差しも…
あの手の温もりも…


この日から


我が家の『時計』が変わりました。


ご近所のおば様たちから


「お母さん亡くなってかわいそうに…」


当時どれだけの人に言われたかは
覚えてませんが、


「かわいそう」


私には  " 嫌な言葉 "  として

当時、子供ながら鮮明に記憶に残り
ましたショボーン


なので、


大人になっても


この言葉だけは


人に向けないように


気を付けてます…🙁


素直に正直な言葉だとは思いますが
とてもデリケートな言葉だと
大人になった今でも思いますので…。


病院に緊急入院して
旅立つまでの
3日目の朝まで…。


とてもここでは
報告出来ないほどの


病と格闘する母の最後の姿でした…。


大切な人の命が消えていく…。


私に出来た事は

握り返してくれない母の手を
ずっと握り続け

神様にひたすら祈るだけでした。


でも、その願いは届かず…えーん


『神様』なんていないんだ❗️ムキー


どれくらいそう思っていたかも
覚えてませんが…

当時の私には

耐えられない出来事でしたので…😔😭



葬儀も終わり

日常に戻っても

我が家の時計が変わってしまった現実。

それは、

テレビ📺をつけると
先週の続きのドラマが写ってる。

学校でも当然
同級生がいる。

でも、家には

居るはずだった母の姿は無く…😣


時が経ち、しばらくすると
新しいテレビドラマが始まり


商店街に行けば
新しいお店が出来ると


「お母さんは知らないんだなぁと」😞

少しづつではありますが
現実を受け入れて行きました☹️



そして、中学生になったある日


誰でも一度や二度は経験するかと
思いますが、


当時、同級生とあまり馴染めなかった
時期がありました…😣😣😞


でも、何故か自分の中から?
ある言葉が浮かんできました。


大切な母との別れより
      辛い事はこの世ではおきない❗️


同級生と上手くあわせられなくても
気にならなくなって行きました🤨


この言葉
この思いは

それからの私の人生に


ものすごくになりました笑い泣き


どんなに辛く
どんなに苦しくても


ーあの日の母の姿を思い浮かべたらー


今でも私を支えてくれてると…ニコニコ


平井堅さんの名曲の一つ
『瞳を閉じて』

この歌の最後に

「無くしたものを超える強さを
         君がくれたから…」

まさにその通りだなと思いますおねがい


今日は、母の日ですね💐

仏壇にカーネーションの花を
備えてます。      


ーーー日々感謝です照れーーー