アナザストーリーズ・・
バトン氏、プルさま、ハビにいさん。
3人すべて、凄まじい内容でした。
特に、ハビのところは・・ (இдஇ; ) (இдஇ; )
どうしても恋人に見える・・ 画面撮りです
今回演出ご担当の阿部修英氏は、歴史を作る人へのやっかみに視点を置いてこられた方だったのですね。
結弦くんにしつこく回る「妬み」や「ウソ」にハビが触れてくれて、これを流してくれたのは、阿部氏たちの着眼のたまものだったったんですね。
わたしの知る限り、結弦くんのドキュメンタリーで触れてくれたのは、初めてです・・
ありがとうございます・・
・・やるじゃないですか、 NHKさん・・
今度は地デジで、ゴールデンタイムで、制作お願いいたしますぜひ・・
今回は、前記事(わすれじ。ハビあにき。)の続きを書きます。
ブライアンが語る、あのお三方とは別の視点からの、もう一つのストーリーになるかな。
『チーム・ブライアン ~新たな旅~』
結弦くんのあの怪我から平昌の伝説の日までの復活劇と、その間のユヅ・ハビの二人の経過。ブライアンが綴っていることばを、拾い集めてみました。
できるだけ短く、と思ったのですが、・・無理でした・・
ブライアンのことば(記載された訳語)、できるだけ使うと、やはり長くなりました。
間延びしてしまうので、前半と後半に分けてアップ致します。
今回は、結弦くんの、あの怪我から平昌入りまでの経過。
次回後半は、平昌でのユヅ・ハビのことです。
「」で囲った箇所は、ブライアン、ハビの記述をそのまま引用した箇所です。
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昨年オリンピックシーズンの11月、グランプリシリーズの真っ只中。結弦くんがケガをするちょっと前にさかのぼります。
ブライアンは、胆嚢の腫瘍が発見され、すぐに手術をしなければならなくなりました。いちばん重要な試合オリンピックで選手たちに帯同するためには、このタイミングで手術するしかなく、トレーシーたちの説得に応え、二人の試合には行かず、手術を受けることを決めます。
すると・・
ハビはGP初戦になる中国杯で、本来の力からは考えられないようなミスを連発し、惨憺たる結果に。ハビは「心を閉ざしてしまった」。メールをしても返信がなく、トロントには戻らず、フランス大会の準備を理由に、ブライアンに黙って帰国してしまった。「私とハビエルの間に、この7年間で最大の危機が訪れてしまいました。」
結弦くんはというと、(NHK杯のために)「日本に到着したとき、ユヅルは風邪をひいており、発熱があり、気分も悪い状態でした。」
「私がいないことで、何かのストッパーが外れてしまったのかもしれません」
「私が入院していたからこそ、むしろ頑張って結果を出し、私を安心させようと考えていたでしょう。」4ルッツを跳ぼうとし、足首をひねり、転倒して大怪我を負ってしまいます。
「不思議なことに、私が帯同しなかったこの2つの試合で、ハビエルは惨憺たる結果となり、ユヅルは致命的な怪我をしてしまったのです。」
「オリンピックシーズンに、私が胆嚢の手術を受け、ハビエルが6位になり、ユヅルが大怪我をする。ひどい2週間でした。」
「変な気分でしたね。世界のトップ選手を二人も抱えていながら、グランプリファイナルに行かないなんて。しかし、2人にとっては自分の気持ちを見つめ直す時間になります。」
さて、結弦くんの、怪我からの復活へのアプローチですが。
オリンピック出場も危ぶまれた・・
結弦くんは優先順位の第一に、「まずは回復すること」「忍耐強く治療に励むこと」を置き、「いかに自分がそれをコントロールするか」、状況を捉え直します。
「つまり、『問題が起きてしまった、どうしよう』ではなく、『乗り越えるべき課題、自分の能力
を発揮するべき挑戦が与えられた』というイメージです。」
この「挑戦 challenge」は、ブライアンたちの日頃からのことばでもあるようです。
その11月に、2回かな、ブライアンは結弦くんのマンションのロビーを訪ねます。初めは結弦くんの松葉杖姿に驚き、結弦くんの不安な気持ちを感じ取り、「君の目標は何か」と聞きます。「オリンピックで勝つこと」と即答。
「わかった、その夢ならば、実現する可能性は非常に高い」と言い、説明するブライアン。真剣に見つめる結弦くんに、気休めではなく、なぜ実現可能なのかを説明し、勝つことだけに焦点を絞り、しなければならないことを見極めようと説明します。
結弦くんなら「6週間で間に合う」ことと「4回転ルッツはなし(4回転ルッツは跳べたしね、外しても大丈夫)」を伝えたことで、結弦くんは、まだ勝てる可能性があるという安心を得たのか、かなりほっとした様子だった、とあります。
その2週間後に再訪したとき、結弦くんがもうイメトレを始めており、ブライアンは驚きます。
ついでに加えると、
「オリンピックに向けた治療、回復、戦略のプランは、すべてユヅルが作成したものだということです。私ではありません。」
リンクを離れている11月・12月、約2か月の間、結弦くんは24時間、ずーっとイメージトレーニングをしていたようです。
12月半ばの頃、つまり昨年の全日本選手権は、クリケットのリンクでゆっくり滑って(一応、氷の上には乗った)、痛みがあるのでまた休み。そして、1月最初の週に再びリンクに戻ります。
1月最初の週に再びリンクに戻った時には、ステップシークエンス、スピン、シングルジャンプとせいぜいダブル程度でした。
この時点で、ダブルジャンプすらまともに跳べない結弦くんを見て、そこから6週間、自分は間に合うと豪語したものの、「どうやってこんな困難な道のりを進もうとしているんだろうか」と、「これからの過酷な6週間を想像し、思わず身震い」したとあります。
「ユヅルのその時の様子を目の当たりにすると、そのときは勝とか、負けるとか、そんなことは考えもしませんでした。いまはただ前へ進まなければならず、(中略)彼が競い合えるレベルにまで回復するのかどうか、とは考えませんでした。それ以前の状況でした。こんなに気の遠くなるようなリハビリの道を、ユヅルがくじけることなく前へ進めるのかどうか。精神力との戦いでした。」
さて、ハビはというと、ハビは、ピーキングに時間がかかるタイプ。毎日ハッピーでい続けることで、どんどん強くなるタイプ。
GPファイナル、スペイン選手権、ヨーロッパ選手権の試合にすべて出てしまうと、オリンピックにピークを持っていくのは難しくなる。このうち、GPファイナルに行けなくなります。
ファイナルに行かなかったことがプラスにはたらき、1月のヨーロッパ選手権で6連覇を果たし、上向き調子でオリンピックへ、つまりオリンピックを最良の形で迎えることとなりました。
オリンピックに向け、調子を上げているハビのジャンプやガブリエルやジュンファンや・・周りの選手たちのエネルギーが満ち溢れているのを見ることは、「その中に一緒に入れないユヅルにとって過酷なこと」でした。
コンディションが全く対象的な2人の優勝候補。この2人の意欲を支え、お互いに相手を見て必要以上に競い合うのを見張らなければならない、ブライアンの気の遣いもまた、大変のようでした。
この辺が、ハビがアナザストーリーズで言っていた「僕の背中を見ろ」の箇所ですね。
「僕らのように高いレベルで競い合っている場合、背中を見せ続ける」
「僕のライバルは結弦だけ」
「落ち込んだからこそ、とんでもない復活を遂げるんじゃないかと思っていました」
「ユヅルはすべてのマイナスを一気にプラスに変えられるそれだけの力を持った人間です」
ブライアンは書きます。ユヅルは苦しんでいることも構わないと。
「やはりユヅルは、困難なことがあってこそ成長する選手です。」
結弦くんの痛みの具合が、その日の練習が痛みなしに終えたのかどうかが、ブライアンにはわからない。結弦くんは「OK」と言うけれど、どれくらいOKなのかわからない。
だから、この時期の、ジャンプを何本、プログラム練習を何回、などはブライアンが決めるわけにいかず、結弦くんが医師やトレーナーと相談して決めていたそうです。
そして、ちょうど1年前の1月終わり~2月初めの頃。
そういった「我慢に我慢を重ねて、ゆっくりとリハビリのプロセスを踏んできた効果」がついに出てきます。
「オリンピッ男子シングルまであと2週間に迫ったところで」「トリプルアクセルの練習を始め」ます。そして「4回転トゥループ、4回転サルコウと次々と取り戻していった」ジャンプは、「『何とか跳べた、久しぶりに跳べた』のではなく『まるで毎日練習していたかのような質の高い4回転を、しっかりと跳んだ』」ものとなっていたそうです。
団体戦には間に合わない。団体戦の日にちも、ユヅルにとってはまだリハビリをする時間であり、「やっと練習を始めたばかり」「まだ曲をかけてジャンプを跳ぶ練習すら」していない状態であるので、出場しないことを決めます。
そうしてジュンファンたちの団体戦のため先に平昌入りしたブライアンですが、トロントにいるトレーシーから、置いてきた結弦くんが「まるで生まれたばかりの赤ん坊が(中略)成長するように」どんどん回復し、調子を取り戻しているということを、(トレーシーからの)毎日の電話で聞き、希望を持ちます。
「もし怪我をしたのがハビエルだったら、こうはいかなかったでしょう。仕上がるまでの時間はユヅルよりかかりますし、一進一退しながらちょっとずつ上げていくタイプだからです。」
「でもユヅルは、一度やると決めたら後ろを振り向くことなく突き進み、そのまま一気に爆発させるのです。ユヅルほど、自らを鼓舞して、ものすごいエネルギーで進んでいける人間を、私は他に知りません。 (中略) こんなやり方をできるのはユヅルだけです。」
そしてまた凄いのが、平昌での男子の試合のスケジュールです。まるで結弦くんの足のためにあるようなものだった。
「ユヅルに必要だったのは勢いでした。(中略) 男子シングルのスケジュールはユヅル向きでした。ショートとフリーが2日間連続していたからです。 (中略) しかも昼間の試合のため、朝の練習後の長い待ち時間もありません。 (中略) ショートの試合が始まってから、興奮した状態のまま2日間過ごし、あっというまにオリンピックが終わるという流れでした。」
そうして、2月11日の夕方に、結弦くんとハビが韓国入りします。
2月12日の、練習リンクでの一歩目はコンパルソリー。基礎の基礎になるスケーティングという地味な練習はブライアンをも驚かせ、世界中の報道陣が写真に撮りました。
「彼はとてもポジティブでした。」決して誰にも、まだ足に残る痛みのことも、1月からの練習の苦しみも、まだ完璧なプログラムが滑れてないことも、億尾にも出さず、結弦くんは非常に落ち着いていた。
そして、「チームにもいい輪が生まれ、まるで家族で休日にスケート場に来ているような、温
かな空気』」であったようです。
「ポジティブにふるまうことが、オリンピックに臨む唯一の方法だったのでしょう。」「客観的に考えれば、非常に苦しい状況ですから。」
「それでいいのです。」「笑顔でいるユヅルを見て、私もトレーシーもハビエルも笑顔になり、それでユヅルもまた笑顔になったのですから。」
「事前に確認し合ったのは、痛み止めの薬、本番のジャンプ構成、会場での練習量についての3点だけ」
「ユヅルは薬が効きすぎてしまう体質のため (.中略) 医師から処方されるような強い薬を好みません。それでも今回は試合当日まで使い続けたいというのですから、よほど痛みがあるのでしょう。」
「特筆すべき作戦は練習量でした」
「トロントでの練習では、1月末に4回転ジャンプを跳び始めてからは4回転トゥループ、4回転サルコウを何度も練習し、4回転ループも挑戦」していましたが、「オリンピック会場での練習量、内容は制限していきたい」とし、「オリンピック会場についてからはとてもシンプルな内容に」。
実際、2月11日に仁川に到着してからというもの、12日に跳んだジャンプは、練習リンクで3A1本のみ。13日のメインリンクで4T、4Sを1本ずつ。14日も同様。4Loは、ショート前日の1本だけでした。
本格的な練習とは言えない、手の内を明かさないかのような結弦くんを見て、ブライアンは結弦くんがイメトレしていることがわかります。
そしてそれはなにかを隠すためではなく、のショートとフリーでマグマを爆発させるためで、エネルギーを心のなかに溜めているのだと、わかります。
そうして、15日・・最後の公開練習のときがやって来ます。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ブライアンが綴る、結弦くんのさらなるアナザストーリーになっちゃってますね。
けっこう、長くなっちゃってるし
タイトルの、 あ・うん・・
今日の記事にはまだ出てきませんが。。
ここまでの、ブライアンがコーチとして見てきた、平昌までの結弦くんの復活の道のり。
これがあってこそ起きたことだったように思いまして、タイトルのことを次に書きたいと思います
その前に、これを一読しておいて下さると、うれしいです。
(読んだからって、役に立つのかな~と、自分でもよくわからないんですけど・・ )
最後まで読まれた方がいらしたら、このような記事なのに、感謝です。
ありがとうございます。
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