結弦くんのジャンプの美しさを、ナンチャッテ分析
しようと試みていると、
飛び込んできたニュース。
ICANのノーベル平和賞、日系イギリス人のノーベル文学賞。
日本に関連のある方々の受賞はとても嬉しいことでした。
けれど、
「核兵器禁条約」の採択に日本政府が同意しなかったことは、被爆国として情けない。
ここまでアメリカに追随しなければならない義務は、どこから来ているんだろう。
「安全保障条約」の本当の意味することを、
昨日の朝の政治解説者が、改めて感じたと話していた。
あれは決して平等なものではない。
それでも日本が全面的に従いますと、誓った内容だと。
「日米安保体制の問題と目指すべき日米関係」(『Impaction』2010年175号)
という過去記事を見つけたのだけど、
現代の政治の成り立ちを知るには、ためになりそうな記事だと思う。
その中の一部に、こうあった。
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六〇年安保は「いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法条の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」(第五条)という形でアメリカが日本防衛にコミットする、そしてその見返りに、日本は基地を提供することによってアメリカが極東で軍事的な事態に対処できるようにする(第六条)という内容で、苦しい「双務性」を図ったのでした。
しかし結局、六〇年安保というのはいわば外枠を作ったに過ぎず、日本がアメリカの基地として有事に機能できる体制(有事法制と国民動員計画)を整えないと、つまり「戦争できる国」にならないと、役に立たないわけです。しかし、当然のことながら、戦争を禁じた平和憲法の下では有事体制づくりはできないから、安保は当然動かせない(アメリカは日本を基地として軍事作戦が行えない)。
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日本が戦争をするできる国になること。
それを前提に、戦勝国からの「独立」を認められたことは確かでしょう。
これはあちこちで聞く話だ。
「独立」とは名ばかりで、未だに「独立」した意見力を持てない国だということを、
今回のICANの一件で、見せられた思いがした。
たとえ属国まがいの待遇を呑み込むことを誓ったものだったとしても、
アメリカ政治の原点は、デモクラシーだったはずでしょう。
それならば、そのデモクラシーに照らして下さい、なんか変じゃないですかと、
言うことくらいはできるはずだ。
そのデモクラシーって何なんだと、アメリカに問い質してみたらどうなんだろう。
人民を守るって何なんだ?
国民1人1人の命を守ることなんじゃないの?と。
核兵器廃絶を支持しないなんて、矛盾してませんか、
我が国のような犠牲者は絶対出してはいけない、被爆国として切望しますと、
言うことくらいは、どんな立場であれ、言ってもいいはずでしょう?
言論の自由だって言ってるのだから。
TV解説で政治評論家が、戦争の方向にもっていくのは良くないと発言すると、
武力強化を主張する人たちが、
戦争できる能力を備えることは即戦争につながるわけではないのに短絡的だとして、
解説者の発言のあれが一致しないだの、北朝鮮目線だの言って、
武力強化への懸念発言に、執拗につぶしをかけている。
武力教化すれば相手が怖気づくと思ってるのだろうか。
相手側の戦意を煽るだけだということを知らないのだろうか。
平和を実現させましょう。
平和の実現のために必須の事項は。
人を殺さないことだ。
武器を持たなくてよい良作を、一丸となって、考えましょう。
これが基本でしょう。とてもシンプルな理念だ。
あそこが攻めてくる、ここが攻めてくると四の五の言うよりも、
それこそ、戦わずして解決する方法を、
日本政府が腹を決めて、発信していくこと、
「できる」と信じて見出していくことなんじゃないの。
「世界平和は、必ず実現、できる」
「戦力を持たずして守ることは、必ず、できる」と。
結弦くんが言ってたじゃん。
言霊はあると。
世界人類のために、この言霊をぜひ使うべきだ。
そして実行ですよ。
「お願いするのも大事だけど、やるのは自分」
結弦くんの言うように。
政治家のアスリートが必要だね。
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あきらめちゃダメなんだよ。
いったん切ります。
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