日本語が他国の言語と大きく違う特徴の一つは、文字一個だけで、何を意味するか、四十六文字すべて、一つ一つが明確に伝えるものとなっているというところでしょう。
たとえば、数を数える 「ひ」「ふ」「み」 を例にとると、
あ、そうそう、私たち普段、「いち」「に」「さん」って数えているけれど、これは漢語であって、純粋な日本語のかぞえことばは「ひ」「ふ」「み」だったのね。
「ひ」は、始まりや初めを意味し
「ふ」はそれが膨らみ或いは増えることを意味し
「み」は中身が充実して実が入ることを意味する
と言ったように、かな文字のひとつひとつに意味がある。
このかな文字が自在に並び替わりながら、五・七・五・・のリズムで人々の思いが詠われてきたものが、万葉集や古今和歌集のうたの数々。
たとえば、安倍仲麻呂さんの短歌。
あまのはら ふりさけみれば かすがなる
みかさのやまに いでしつきかも
(大きな空を振り仰いで見ると 月が出ている
春日の三笠山を思い出す月が
ああ あの故郷と同じ月なのか )
「ことば使いについて考えよう」というフォーラムに行ったことがあって、そこで紹介されていた次の漢訳詩と英訳とを見ると、
漢訳詩(文字数と行数を合わせている、すごい)
芲芲天之原
挙頭仰望园
神往春日辺
今宵三笠山頂上
一輪明月又中天
英訳
Looking up at the sky, the moon is out,
which used to be on Mt. Mikasa in my hometown.
Oh, I miss it!
言語が変わると、情景の説明(に感情をつける)だけの表現になり、このうたの、ことばの重なりから伝わる妙(たえ)や雅さというのが、薄れるんだなと思った。
逆に、英語や漢詩の場合も、母国語だからこそ伝わるものがあり、それを和訳したものは、やっぱり伝わるものが微妙に違っていたりするのだけれど。
この五・七・五、五・七・五・七・七の世界。
数限られた文字だけで、思いが詠まれ、私たちはその、無駄を削ぎおとされ省略された少ない文字の中に、詠い人の思いを感じようとし、そして書かれていない空気を、そこに見い出す。
形になっていないけど、そこにあるもの。淡く儚いものだったり、かすかなうごめきだったり。ときには、間(ま)であったり。
少ない文字だからこそ、繊細で多彩に広がる世界を、私たちは感じることができる。
日本語だからこそ感じることのできる美しさがあり、日本人が誇るべき文化の一つなんだなと思う。
それで、和歌の世界からジャンプして現代音楽の話になりますけど、こういうヒビキとリズムを持った日本語には、ことばのヒビキを邪魔されずに、のびやかに歌われる作品のほうが、伝わってくるものを感じます。つまり、情緒的な美しい曲調が合うってことです。
日本の歌を聴くなら、ガンガン鳴りちらすロックではなく、唱歌を聴きたいわ。
逆に、ロックを聴くなら、本場の人たちの英語もののほうがずっといいわ。
(日本人なのに、なんで英語をつけまくるんだ!日本語を大事にしろ!って、プチオコしてたけれど、・・・ひょっとすると彼らも、ロック調に日本語は難しいと感じているのかもしれないね。)
だから、日本の「ロックと称されるもの」をあまり聴こうとして来なかった。いやんなっちゃうから。
まあ、わがままなんでしょう、私。。
とういうことで、「君をのせて」を載せておきます。
久石譲さんの、武道館でのコンサートの時のもの。
2012年~2013年いつだったか、TVで偶然に観て。
なみだ、ボロボロ流して聴きました。
歌詞と曲に感動して。
やっぱり、日本人が歌をつくるのなら、こういうので魅せてほしいなあ。。
日本人は融合が得意だから、もう少し時代が行けば、ロックも消化して、まったく新しいものを造り出すかもしれない、けどね。