第4話
「ねえ、秀ちゃん」
「ああ、聞いてるよ」
「私、萌子さんから面白いこと聞いちゃったの」
萌子さんは何を話しているのか、僕は生きた心地がしなかった。
頭熱足寒になり、6度ぐらいの温度差を感じた。
頭がのぼせてくる。
「三越の玄関前にライオン像があるよね」
実亜が付加疑問文で聞いてくる。
「うん」と、気のない返事をしたが
僕と萌子さんの思い出がまざまざと蘇ってきた。
三越の玄関前にライオン像がある。
ロンドンのトラファルガー広場で人気を集めたライオン像のミニサイズが三越のシンボルとして置かれた。
萌子さんとのデートの時だった。
ライオン象の前を通ると、萌子さんが急に立ち止まって、ライオンの顔をまじまじと見始めた。
「いい顔している」と萌子さんは見とれていた。
そして「ねえ、またがりたいの」突拍子もないことを言ってきたのだ。
「誰もいないところでライオン像の背中にまたがると願いが叶うんだって。ちょうど誰もいないし。あ、秀治君がいるけどいいよね」僕に聞かれても困る質問を萌子さんは投げかけてくる。
ライオンはお座りしている格好で顔をもたげている。
どこから見ても端厳な姿だ。
その威風堂々したライオンにまたがりたいと、萌子さんは言い出したのだ。
一度言い出したら、僕の言うことなど聞くはずもない。
僕の肩ほどの高さの台座に、スカートをはいた萌子さんは片足をバレリーナのように乗せた。
23歳の萌子さんはミニのフレアースカートをはいていた。
足を上げたとたんに、フレアースカートの裾がはらりと逆さまに落ちて、萌子さんの格好よくてかわいい太ももが見えた。
別に興奮もしない。
こんなシチュエーションで好意を持っている女性が、こんなことをしたら、ただオロオロするばかりだ。
萌子さんはそんな僕を一瞥すると、スカートを手で押さえながら「みないでよ」と無理なことを強いてくる。
それでいて「早く手伝って」と指図してくる。
今、考えると、もうめちゃくちゃな人だった。
僕は萌子さんの地に着いているもう片方の足を両手で押さえて台座の上に上げてやった。
そして、落ちないようにと、僕は真剣に自分の身体を張って、萌子さんをライオンの背中にまたがさせてあげた。
僕の背丈より高いライオンだったが、それでも、僕が182センチメートルの身長が役に立った。
萌子さんはライオンの背中にまたがると、目を閉じてじっとしている。
何かお願いをしているのだ。
萌子さんの長いまつげを僕は愛おしんだ。
僕も若かった。
肩で息をしながら、疲れを感じなかった。
これが今、実亜にせがまれたら、一気に10年分の仕事をしたようにぐったりするだろう。
「秀治君」萌子さんが僕の名前を呼んだ。
「秀治君も後ろに乗って」萌子さんが今にもライオンの背中に乗ったまま、どこかへ飛び立って行ってしまいそうな気がした。
僕は萌子さんしか見えていなかった。
言われるままに僕は助走をつけて、一気にライオンの背中に乗り付けた。
青銅で出来たライオンは冷たかったが、僕の前に萌子さんがいる。
僕は後ろから腰に手を回した。
萌子さんを手離したくない。
僕は萌子さんの小さな背中に頬を付けた。
突然、萌子さんが両手を広げた。
「秀治君、このままどこかへ飛び立って行けたらいいね」萌子さんの真意は分からない。
僕は情けなく小さな声で「うん」と
答えるだけだった。
その日、昼間は小春日和の暖かい日だった。
でも、北緯43度の札幌は、夜になるとやはり寒かった。
僕はコートのボタン外し、前身頃の部分で赤ちゃんを包むように、萌子さんを包んだ。
そういえば、あのライオンの背中にまたがり、萌子さんが両手を広げた姿が、『タイタニック』の映画を観た時、重なって辛くなったことを思い出した。
『タイタニッ』は1997年に上映された。
ジャックがローズを支えてタイタニック号の先端で両手を広げたシーンが話題になったが、僕たちの方が5年も早くそんなことをしていたんだと思った。
監督のジェームス・キャメロンと別に張り合っている訳ではないが、そう思った。
「ねえ、秀ちゃん、私もライオンの背中にまたがって願いごとをしたい」
僕の最も恐れていたことを実亜は口にした。
「危ないよ。それに誰か見てるよ」
「だから、夜中にしたらいいんじゃない」
「その…萌子さんとやらの時代と今の時代は違うんだよ」
「どう、違うの」
実亜の上目使いで軽く睨む目が、可愛い。
「その…萌子さんとやらの時代は夜に人がいなかったけど、今は夜に若い子がたくさんいるだろ」
僕は嫌な汗をかいた。
必死だった。
「どうして、萌子さんの時代を秀ちゃんは分かるの?」
「だって、僕とたいした年齢は変わらないだろう」
「もう、秀ちゃんは年寄りね」
「実亜は若いよ」
僕は実亜の鼻先を人差し指でなでてやった。
「ねえ、秀ちゃん」
僕は名前を呼ばれる度に、生きた心地がしなくなっていた。
「タイタニック号の事件って、1912年に起きたんですってね」
僕はぎくっとした。
「そうだけど、急にどうした?」
今度は何を実亜は言ってくるのだろう。
「来年で100年目になるんでしょ?」
実亜は確かめるように聞いてくる。
「そうだね」
僕は変な胸騒ぎがした。
「萌子さんから聞いたの。『タイタニック』という映画の話しを。レオナルド・ディカプリオという俳優が格好いいって」
「そうかい」
内心、穏やかではない。
次の実亜の言葉が恐怖だった。
「それでね、来年100年目ってことで、3Dでディカプリオの映画を4月から上映するんですって!」
「『タイタニック』を?」
「うん。萌子さんがそう言っていた」
「へえ、そうなのか」
「秀ちゃん、観に行こう!」
映画を観に行くのは断れない。
そういう話しであればと少しほっとした。
が、その暇もなく実亜が続けた。
「あ、萌子さん言っていたな。『タイタニック』の有名なシーンの両手を広げるの。」
しばらく、萌子さんから聞いたという『タイタニック』の話しをした後で、実亜が羨ましそうに言った。
「私もライオンの背中で、後ろに秀ちゃんがいて、両手を広げたい」
「ええっ?!」
僕は椅子から飛び上がりそうになった。
続く
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
コメントをいただけると嬉しいです
。
小説(ミステリー) ブログランキングへぽちっとしてくださいね