私が高校生の時です。
大人からすれば、生意気な論議をしていました。
「なぜ、生きるの?」
すると、1人の男子が諭しました。
「なぜ、生きるのかではなく、どうのように生きるかだよ」
演劇部だった私はよくこんな理屈を
話していました。
演劇部仲間とこんな論議をした記憶も。
「端役のお姫様と主役のホームレスと、どっちがいい?」
私はあの当時、何と答えていただろう…
確か、「主役のホームレス」と、答えていたと思います。
あの頃の私が、どのように生きるか
に対して、いかに安易に考えていたかがよく分かります。
大人になり、膠原病がずっと寄添って離れない人生になってしまった今
、端役でいいから健康な体であればと、勝手なことを思ってしまいます
。
そういえば、あの時、その男子がこのようなことも言っていました。
「誰もが自分の舞台では、その人が主役なんだよ。その人がどのように生きてきたかで、最後、幕が下りる時、拍手の大きさが違ってくる」
今、思えば青の時代の名言ですね。
その彼が、現在、どのように生きているのかは、私には全く不明です。
それはともかく、彼が言っていたように、誰もが自分の舞台があり、主役であるのなら、膠原病である私も自分の舞台で主役な訳です。
それであれば、拍手が少しでも、多くもらえるような舞台を踏まなくては、と思います。
ただし、アンコールはいらないです
。
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