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昭和時代(以下引用)
  昭和2年には東横電鉄渋谷・神奈川間が開通。8月に、東横
線の一部(渋谷-丸子川間)開通。
  昭和9年には、井の頭線渋谷-吉祥寺間が全通し、同年東横
百貨店も開業、11年には区役所の庁舎と公会堂ができた。
14年には、銀座線渋谷-浅草間全通。ターミナル駅となった。
  昔陸軍刑務所だったところ(宇田川町1丁目)に、二・二六事
件慰霊碑がある。
  地下鉄渋谷・虎ノ門が開通したのは昭和13年。
  ハチ公が銅像になったのは、昭和9年4月。除幕式にはハチ
公も参加。
ハ チ公は、東京帝国大学教授・上野英三郎氏の犬で、大正
14年に亡くなった後も、里子先から脱走し、渋谷駅に通いつ
づけた。昭和9年、日本犬保存会の発起で 資金を募集し、銅
像を作った。銅像の作者は、渋谷区在住の帝展彫刻審査員・
安藤照氏。ハチ公は昭和10年13歳で病死。剥製となり、国
立科学博物館に保存 されている。墓は、青山墓地の上野博
士のそば。
太平洋戦争中、金属回収のため供出されたが、戦後、地元
の商店会や町会・渋谷駅長などの努力で、昭和23年再建。
この像は、安藤照氏の子息・武士氏による。
  昭和20年5月、道玄坂は米軍の空襲で焼けた。
  東急が昭和9年にデパート(現・東急百貨店東横店)を阪急
の梅田駅の 手法に倣って設けた。ターミナル駅にデパート
を作るのは、関東では東武浅草駅の松屋(1931)に続いて
2番目、全国でも3番目。それまで鉄道で渋谷に来 た後に
銀座・上野方面へ市電やバスで向かっていた客が渋谷で
買い物をするようになった。
  昭和29年に東急会館、昭和31年に東急文化会館が設
けられ、「東急の街」として発展していくが、西武系列の西
武百貨店が昭和43年に渋谷へ進出し、東急と西武によ
る開発競争が始まる。
  昭和32年、日本初の本格的地下街・渋谷地下商店街(し
ぶちか)オープン。
  昭和36年、大和田の高台に力道山が「リキ・スポーツパ
レス(リキパレス)」を建設(平成4年解体)。
  渋谷公会堂(CCレモンホール)は、昭和39年東京オリン
ピックの重量挙げ競技場として使用された。
  昭和44年、東急玉川線が廃止され、昭和52年、新玉川
線が開通。地下鉄半蔵門線もできた。
  東京国際映画祭は1985年から開催されている。
1989年 にBunkamuraがオープンすると同施設のメインイ
ベントとなり、隔年開催から毎年開催に変更。2004年か
ら、渋谷・Bunkamuraと六本木ヒ ルズをメイン会場として
開催、2005年からは共催企画として秋葉原地区を会場に
「秋葉原エンタまつり」を開催。

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