空海・最澄 年表
「顕」「密」並び立たず
(2005-5-14作成)
[以下引用]

風信帖
<参考資料>
空海の風景(上)(下):司馬遼太郎,中公文庫,1978年初版(2005年改版22刷)
最澄と空海:立川武蔵,講談社選書メチエ(1600円),1998年初刷
空海:宮坂宥勝,ちくま学芸文庫(1100円),2003年初刷(初出:1984年)
空海の道:永坂嘉光・静慈園,新潮社(1300円),2004年初刷
(2005-5-14作成)
[以下引用]
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空海:大阪・金剛寺蔵
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| 西暦 | 年齢 | 日付 | 空 海 | 最 澄 |
| 767 | |
漢系渡来氏族である三津氏を父として近江(現在の坂本あたり)で生まれる。幼名は三津首広野。帰化人という自覚をもっていたものと思われる。 | ||
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| 770 | (光仁天皇即位)仏教の粛清を行い、山林修行を公認する。 | |||
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| 774 | 1 | 6月15日 | 讃岐国多度郡屏風が浦(現在の海岸寺、75番善通寺)で、佐伯直田公(さえきのあたいたきみ)と安刀(あと)氏出身の母の三男として出生。幼名は真魚(まお) | |
| 775 | 2 | |||
| 776 | 3 | |||
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| 778 | 5 | |||
| 779 | 6 | |||
| 780 | 7 | 14歳で出家。 | ||
| 781 | 8 | (桓武天皇即位)中国皇帝的な事業と統治を行う。 | ||
| 782 | 9 | |||
| 783 | 10 | |||
| 784 | 11 | |||
| 785 | 12 | 東大寺で具足戒を受ける。 奈良仏教と決別し、比叡山に登り、山林修行のなかで「天台」の思想を構築していく。 |
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| 786 | 13 | |||
| 787 | 14 | |||
| 788 | 15 | |||
| 789 | 16 | このころから母方の伯父である大学者・阿刀大足(あとおおたり)に師事。 (伝承)71番弥谷寺の獅子窟で学問に励む。 |
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| 790 | 17 | |||
| 791 | 18 | 宮廷から「修行入位」という僧位を授けられる。 | ||
| 792 | 19 | 大足に伴われて上京(長岡京)、大学に入学。 | ||
| 793 | 20 | このころある沙門から「虚空蔵求聞持法」(こくうぞうぐもんじほう)を授かる。 阿国大滝岳(現在の21番大龍寺の舎心ケ岳)、土州室戸岬(現在の御蔵洞)に勤念。谷響きを惜しまず、明星来影す。 (伝承)和泉国槙尾山寺で沙弥戒を受ける。 |
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| 794 | 21 | 桓武天皇による平安遷都が行われ、奈良仏教に批判的な最澄が、宮廷に重んじられる。 このころ、国家的権威のある「内供奉十禅師」の一人とされる。 |
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| 795 | 22 | |||
| 796 | 23 | |||
| 797 | 24 | 4月9日 | (伝承)東大寺の戒壇院で具足戒を受ける。 | |
| 12月1日 | 思想劇「三教指帰」(さんごうしいき)完成。道・儒と仏教を比較し、仏教の優位、すなわち自身(仮名乞児)が官を捨て仏門へ入ることの正当性を主張。これに匹敵するのはゲーテの教養小説「ウイルヘルム・マイスター」であるとされる。 | |||
| 798 | 25 | (伝承)大和国久米寺東党の下で「大日経」を感得。 | ||
| 799 | 26 | 空白の時期 | ||
| 800 | 27 | 空白の時期 | ||
| 801 | 28 | 空白の時期 | ||
| 802 | 29 | 空白の時期 | 高尾山寺で天台著作(法華玄義、法華文句など)を講義し、和気氏の支援を受けるようになり、桓武天皇の知るところになる。 | |
| 803 | 30 | 空白の時期 | ||
| 804 | 31 | (続日本後記)31才で得度。 | ||
| 5月12日 | この日、4船団で難波の港を出帆して入唐の旅に上る。 第1船…「遣唐大使」藤原葛野麻呂(かどのまろ)、橘逸勢(たちばなのはやなり)、空海(留学生) 第2船…「判官」菅原清公、伝教大師最澄(還学生) |
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| 7月6日 | 肥前国田ノ浦(現・平戸)を出帆。 | 第2船は明州の寧波府に着き、最澄は弟子の義真を伴い天台山に登る。 第3船と第4船は行方不明。 |
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| 8月10日 | 中国大陸福州赤岸鎮(せきがんちん)の南に漂着。 | |||
| 12月23日 | 唐の都長安に東門(春明門)より入る。 | |||
| 805 | 32 | 2月10日 | 遣唐大使らは長安・宣陽坊を発って帰国の途につく。 | 最澄帰国。5月19日に出帆した船は6月5日に対馬に着く。 |
| 空海は逸勢とともに西明寺に残る。青竜寺の恵果の名声を聞き、訪ねる。 | ||||
| 6月13日 | 恵果より学法灌頂壇で胎蔵の灌頂を受ける。 | |||
| 7月 | 恵果より金剛界の五部灌頂を受ける。投華得仏では大日如来に落花した。恵果は空海に遍照金剛の名を授けた。 | |||
| 8月10日 | 恵果より阿闍梨位の伝法灌頂を受ける。わずか2ケ月で密教の大法をことごとく授かる。 | |||
| 12月15日 | 青竜寺の東塔院で恵果が入滅。 | |||
| 806 | 33 | 1月 | 門下を代表して恩師恵果の碑文を撰した。「「…弟子空海、故郷を顧みれば東海の東。行李を想えば難が中の難なり。波濤万々たり、雲山幾千ぞ。来ること我が力にあらず、帰らんこと我が志にあらず…」 | 最澄は正月3日に「年分度者」(得度を許される一定数の者)の新しい割当を申請する。律、華厳、三論、法相などの従来10人に、天台法華宗2人の追加をもとめたもので、これの許可によって、天台宗は公認されることになる。 |
| 大詩人・馬総は空海に対して「何ぞなんじ万里より来たれる。その才を衒うにあらざるべけんや。学を増して玄機を助けよ。土人、なんじが如きなるもの稀なり。」という詩を贈る。 | ||||
| 3月 | 20年滞在の約束にもかかわらず、長安を離れ、帰国の途につく。 | |||
| 4月20日 | 浙江省に到着、ここで4ケ月滞在。 | |||
| 8月 | 遣唐副使・高階真人遠成の船で逸勢と共に寧波から帰路につく。 | |||
| 12月13日 | 高階真人遠成は入京し復命。なぜか空海は大宰府に留めおかれる。 | |||
| 807 | 33 | |||
| 808 | 34 | |||
| 809 | 35 | 嵯峨天皇が24歳で即位し、重んじられるようになる。 | ||
| 2月3日 | 空海が最澄に刺(し)を投ずる。(刺ってなに?) | |||
| 8月24日 | 最澄は弟子の経珍を使いに空海が請来した密教経典12部を借覧。特に「大日経」に関心。 | |||
| 10月4日 | 「世説」8巻のうちの秀文を屏風にして嵯峨天皇に献上。 | |||
| 810 | 36 | 「東大寺要録」によれば、この年から813年まで東大寺の別当職に任じられる。 9月に薬子の乱。皇太子である高丘親王は廃され、出家して空海の弟子となる。後年、インドに渡海しようとして、途中の羅越国で亡くなる。(参照)渋沢龍彦:高丘親王航海記 |
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| 811 | 37 | 11月9日 | 乙訓寺の別当に任じられる。 | |
| 812 | 38 | 9月11日 | 空海から最澄へ書状「風信帖」。…風信雲書、天より翔臨す。… | |
| 11月15日 | 空海による高尾山寺の金剛界灌頂。最澄は進んで受者となる。(空海自書:「灌頂歴名」) | |||
| 12月14日 | 空海による高尾山寺の胎蔵灌頂。最澄以下145名が受者となる。 | |||
| 813 | 39 | 最澄は空海に阿闍梨灌頂を伝授するように願ったが、なお3年の実修を要すといって拒否される。 | ||
| 814 | 40 | 最澄の「法華一乗」と「真言一乗」は同じ大乗仏教であり、何ら相違ないという立場と、空海の顕教と密教とは次元が異なるという思想により、双方は離別していく。 | ||
| 815 | 41 | |||
| 816 | 42 | 6月19日 | 修禅の道場建立のため高野山の下賜を願い出る。 | |
| 817 | 43 | この頃から法相宗の会津の徳一と法論を戦わせ、そのなかで諸法実相という天台の思想を確立していく。 | ||
| 818 | 44 | 満濃池決壊。築池使の路浜継は3年がかりで修復を図ったが成功しなかった。 | ||
| 819 | 45 | |||
| 820 | 46 | |||
| 821 | 47 | 4月 | 満濃池修築別当に任じられ、6月からの3ケ月で完成させる。 | |
| 822 | 48 | 56歳で死去。 | ||
| 823 | 49 | 1月19日 | 嵯峨天皇より東寺(教王護国寺)を受預される。 現在も講堂に空海独創の立体曼荼羅(五仏、五菩薩、五大明王、六天)を残す。 |
比叡山寺が延暦寺と改名する。 |
| 824 | 50 | |||
| 825 | 51 | |||
| 826 | 52 | |||
| 827 | 53 | |||
| 828 | 54 | 12月15日 | 綜藝種智院を開設。教育理想を記した「綜藝種智院式じょ序」を表す。 | |
| 829 | 55 | |||
| 830 | 56 | 人間精神の弁証法的な発展過程を克明に説いた「十住心論」を著す。 | ||
| 831 | 57 | |||
| 832 | 58 | 高野山で万燈会を開き、願文「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きん…」を残す。 | ||
| 833 | 59 | |||
| 834 | 60 | |||
| 835 | 61 | 3月21日 | 高野山に死す。 | |
| 836 | ||||
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風信帖
<参考資料>
空海の風景(上)(下):司馬遼太郎,中公文庫,1978年初版(2005年改版22刷)
最澄と空海:立川武蔵,講談社選書メチエ(1600円),1998年初刷
空海:宮坂宥勝,ちくま学芸文庫(1100円),2003年初刷(初出:1984年)
空海の道:永坂嘉光・静慈園,新潮社(1300円),2004年初刷

