素敵な京都の宿でした
皇太子も泊まったそうです
なんと女将さんのはからいで
特別室に移動しました
茶室も付いておりまする。
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日本最古不動明王 東寺

【以下引用]
密号を「常住金剛」と言い、不動尊は二系統が言われるが日本では梵語名 Acalan´tha(アチャラナータ)系列に相当する、但しインドに於いて不動 明王は存在せず明王に相当する梵語もない、(Aは否定calaは動き)経典の漢訳は阿遮羅嚢(あさらのうた)、他となり不動金剛明王・不動尊・不動使者・ 不動如来使などとも訳され文字通り動かないと言う意味である、善無畏は大日経疏(息障品)に於いて大日如来の秘密を伝える「教令使」即ち使者(救済の実行 者)としている、そして姿形を明確に示した、また不動とは「静寂の義なり」とも言われる、因みにアチャラナータ系の他は「強烈に怒れる尊」(チャンダマ ハーシャナ)と言われる。
インド土着信仰の最高神であるシバ神の別名ともされているがベーダ聖典等に記述されていない、インドの土着信仰に於ける 山の神とかドラビタ人の奴隷説もあるがインドに於いては見られず、長安の寺院跡から不動尊らしい尊像が発掘された事はある、但し中国での信仰も唐時代に微 細な跡が見られる程度である。
不動尊は請来した空海の密教興隆に於ける戦略尊と思惟され自身も護身仏として信仰していた、但しシバ神自体はヒンズー教の最高神であり信仰は絶大である。
不動明王の源流を敢て探ると、正木晃氏に依れば中国に於いて7世紀前半まで存在していた大日経からの「不動如来使」、さらに不空羂索神変真言経の「不動使者」ではないかと思惟されると言う。
し かし日本では火焔光背を背負う事から修験道の護摩による加持祈祷対象の主尊とされたこともあり、五大明王信仰から独尊の信仰に発展して行く、密教に於ける 伝持八祖(注10)の六祖である不空が重要視し事もあり空海の戦略の中に於いて天台宗を凌ぐ教義として真言密教を為政者に認知させる方針として密授と共 に、胎蔵界曼荼羅の持明院の一尊に過ぎない不動明王を主役の位置に採用した影響は絶大であり広く民衆にも広めることに成功した、要するに不動明王は胎蔵生 曼荼羅の象徴尊である、因みに金剛界の象徴尊は愛染明王である。
姿形としては大日経疏に依れば瑟瑟座(しつしつざ)と言う盤石な岩の上で、右手に智剣すなわち大慧刀(だいえとう)、左手には羅索を持ち頭髪は左に下げ下歯で右の唇を噛み憤怒相をしている。
詳 細に観れば火焔(かえん)光背を背負い肥満体で一面二臂にして頭髪は七(しち)莎髻(しゃけい)(注12)に結い弁髪(べんぱつ)を左に下げ、右手に宝 剣、左手に羂索を持ち瑟瑟座若しくは盤石(ばんじゃく)座に座す像を標準と考えらるが不動十九観が定められている、因みに十九観とは前述の他に火生三昧・ 額の皺・色は青黒で、眷族として八大童子や二童子(矜羯羅と制多迦)を従える・大盤石に座すなどがある。    

他国ではあまり見る事が 出来ない日本密教特有の戦略尊である不動尊の人気は如来から天部まで多数あるが上位五指の中に入ろう、観音菩薩と共に現世利益を授かる双璧である、不動信 仰は大衆に多くの信仰を集めた寺院は多くあり、川崎大師(金剛山 金乗院 平間寺) ・成田山新勝寺 ・目黒不動(泰叡山 瀧泉寺) ・法善寺(浪花の水掛不動) ・身代わり不動など多くの参拝者を集めている、さらに江戸時代に 成ると江戸城を守護する為に五色不動が配置された、即ち・目青・目赤・目白・目黒・目黄を加えられ地名として現在も残る地域もある、不動尊を本尊とする寺 の巡礼も行われており著名な組織に「近畿三十六不動尊霊場」や「関東三十六不動霊場」があり、特に関東には平間寺(川崎大師)・成田山新勝寺・高尾山薬王 院・日野高幡不動等の著名な寺院がある、その他「北関東」・「東海」・「東北」、等に三十六不動尊霊場がある、因みに関東地方に於ける不動信仰は平将門の 乱に於いて神護寺から降伏に赴いて、そのまま新勝寺に留まり現在に於いてもレンタルが継続している事から庶民に浸透した。
他方天台宗に於いても円 仁が千日回峰行に不動明王を取り入れた、また黄不動像に儀軌から少し変化を持たせた円珍の不動信仰は篤く、比叡山を「一大円教」(注6参照)思想に導い た、また安然も不動明王の十九の観想法を示す「立印儀軌修行次第」を著す等不動信仰の隆盛に貢献した。
安然の立印儀軌修行次第に著される不動明王の十九の観想法を抜粋すれば「大日如来の化身」「卑しく肥満体」「左肩に弁髪を垂らす」「左眼を閉じる」「右臂に剣を持つ」「左臂に羂索を持つ」「迦楼羅炎光背」「二童子を従える」などがある。
不動明王は密教に於いての伝法阿闍梨位灌頂を受けるためには四度加行がある(注11)、最後四番目の行として不動護摩法が行われ護摩法の本尊である。 
ま た絵画にも多くの秀作が残されており・黄不動(園城寺、他) ・青不動(青蓮院、他) ・赤不動(高野山明王院、他)・波切不動(高野山南院) ・倶梨伽 羅龍と言う蛇が剣に巻きついた倶梨伽羅不動など多くのバリエーションがある、チベット密教の世界では黒不動や白不動が存在しており三眼を飛び出さんばかり に見開き左膝を落とし、右手で剱を振り上げている。  
不動明王は独尊のみならず、五大明王の中尊として制作され、教王護国寺・講堂の像が最も古 く、真言密教系寺院のスタンダードとなる、また大日如来の脇侍となる事がある、この場合は不動明王が胎蔵界に於ける大日如来の化身に対して、金剛界は降三 世明王や愛染明王が化身として著される。
姿形的には明王の中で一面二臂は不動明王のみである、大日経疏には姿形は卑しく肥満等信仰の対象とは凡そ 無縁な記述があり、インド・ドラビダ人の奴隷がモデルとされており下層民特有の姿である、顔は憤怒相・左肩に弁髪を垂れ・右手に宝剣・左手に羂索・ゾロア スター教(注8)の影響を残した火炎光背を背負い・山岳神の伝承もあり岩座か瑟瑟座(しつしつざ)が多い、光背の火炎は迦楼羅焔(かるらえん)とも言われ 毒蛇を食す想像上の怪鳥と言われる。
不動明王は密教の象徴的存在でもあり胎蔵界曼荼羅・持明院に般若菩薩を中尊として降三世明王・勝三世明王・大 威徳明王と共にあり、東寺に於ける羯磨曼荼羅では明王部(五大明王)の中尊である。本来の利益は降魔(悪魔を屈服)にあるが旅・交通安全の守護神になって いるのは空海が唐から留学の帰路嵐に巻き込まれた時に波切不動に助けられた伝説によるものと言えよう。
不動尊は真言僧として一人前の阿闍梨となる 為の必須行である四度加行の護摩供養に於いての最終の本尊である、因みに真言であるが不動尊の真言が最も人気があり多くに知られている、「ナウマク サン マンダ バサラナン センダ マカロシャナ ソワタヤ ウン タラタ カンマン」 即ち「帰依します 普く全ての金剛へ 暴悪で怒れる者よ 破壊せよ」。
胎蔵生曼荼羅や羯磨曼荼羅の他にも普遍性に乏しいが別尊曼荼羅には仁王経曼荼羅・安鎭曼荼羅・十二天曼荼羅などに中尊として画かれている、。
日本では大変な信仰を集めている明王はインドに於いては明王という名称も定かでなく作例も不動明王・降三世明王・大威徳明王が数例存在するのみで軍荼利明王・金剛夜叉明王の二尊は作例も無い、中国に於いては唐時代の寺院跡から、アチャラ系坐像の発掘例がある。

また眷族も多く八大童子や三尊(脇侍に矜羯羅童子・制押梼童子)形式に造像され、滋賀県、奈良県を中心に多数現存する。また絵画の於いても不動明王関係の作品は優れた物が多い。
○園城寺の不動明王像  黄不動   絹本著色 掛幅装 178,2×72,1cm 平安時代  装身具・頭髪・牙などに円珍の独創 
○青蓮院の不動明王二童子像 絹本著色  掛幅装 青不動 203,3×148,5cm 平安時代 (院内に複製三尊像を安置)
●明王院(高野山)不動明王二童子像 絹本著色  赤不動
    ○●印で日本の三不動とされている。
○曼殊院の不動明王像 絹本著色 掛幅装 168,2×80,3cm 平安時代
    3点の国宝を含む36点の指定文化財がある。

大 衆に多くの信仰を集めた寺院は多くあり、川崎大師(金剛山 金乗院 平間寺) ・成田山新勝寺 ・目黒不動(泰叡山 瀧泉寺) ・法善寺(浪花の水掛不動) ・身代わり不動など多くの参拝者を集めている、不動尊を本尊とす る寺の巡礼も行われており著名な組織に「近畿三十六不動尊霊場」や「関東三十六不動霊場」があり、特に関東には平間寺(川崎大師)・成田山新勝寺・高尾山 薬王院・日野高幡不動等の著名な寺院がある、その他「北関東」・「東海」・「東北」、等に三十六不動尊霊場がある、因みに関東地方に於ける不動信仰は平将 門の乱に於いて神護寺から降伏に赴いて、そのまま新勝寺に留まり現在に於いてもレンタルが継続している事から庶民に浸透した。
他方天台宗に於いても黄不動像に儀軌から少し変化を持たせた円珍の不動信仰は篤く、比叡山を「一大円教」(注6参照)思想に導いた、また安然も不動明王の十九の観想法を示す「立印儀軌修行次第」を著す等不動信仰の隆盛に貢献した。
安然の立印儀軌修行次第に著される不動明王の十九の観想法を抜粋すれば「大日如来の化身」「卑しく肥満体」「左肩に弁髪を垂らす」「左眼を閉じる」「右臂に剣を持つ」「左臂に羂索を持つ」「迦楼羅炎光背」「二童子を従える」などがある。
不動明王は密教に於いての伝法阿闍梨位灌頂を受けるためには四度加行がある(注11)、最後四番目の行として不動護摩法が行われ護摩法の本尊である。 

また絵画にも多くの秀作が残されており・黄不動(園城寺、他) ・青不動(青蓮院、他) ・赤不動(高野山明王院、他)・波切不動(高野山南院) ・蛇が剣に巻きついた倶梨伽羅不動など多くのバリエーションがある。  
不 動明王は独尊のみならず、五大明王の中尊として制作され、教王護国寺・講堂の像が最も古く、真言密教系寺院のスタンダードとなる、また大日如来の脇侍とな る事がある、この場合は不動明王が胎蔵界に於ける大日如来の化身に対して、金剛界は降三世明王や愛染明王が化身として著される。
姿形的には明王の 中で一面二臂は不動明王のみである、大日経疏には姿形は卑しく肥満等信仰の対象とは凡そ無縁な記述があり、インド・ドラビダ人の奴隷がモデルとされており 下層民特有の姿である、顔は憤怒相・左肩に弁髪を垂れ・右手に宝剣・左手に羂索・ゾロアスター教(注8)の影響を残した火炎光背を背負い・岩座か瑟瑟座 (しつしつざ)が多い、光背の火炎は迦楼羅焔(かるらえん)とも言われ毒蛇を食す想像上の怪鳥と言われる。
不動明王は密教の象徴的存在でもあり胎 蔵界曼荼羅・持明院に般若菩薩を中尊として降三世明王・勝三世明王・大威徳明王と共にあり、東寺に於ける羯磨曼荼羅では明王部(五大明王)の中尊である。 本来の利益は降魔(悪魔を屈服)にあるが旅・交通安全の守護神になっているのは空海が唐から留学の帰路嵐に巻き込まれた時に波切不動に助けられた伝説によ るものと言えよう。
胎蔵生曼荼羅や羯磨曼荼羅の他にも普遍性に乏しいが別尊曼荼羅・仁王経曼荼羅・尊勝曼荼羅などに画かれている。
日本では大変な信仰を集めている明王はインドに於いては明王という名称も定かでなく作例も不動明王・降三世明王・大威徳明王が数例存在するのみで軍荼利明王・金剛夜叉明王の二尊は作例も無い。

また眷族も多く八大童子や三尊(脇侍に矜羯羅童子・制押梼童子)形式に造像され、滋賀県、奈良県を中心に多数現存する。また絵画の於いても不動明王関係の作品は優れた物が多い。
○園城寺の不動明王像  黄不動   絹本著色 掛幅装 178,2×72,1cm 平安時代  装身具・頭髪・牙などに円珍の独創 
○青蓮院の不動明王二童子像 絹本著色  掛幅装 青不動 203,3×148,5cm 平安時代 
●明王院(高野山)不動明王二童子像 絹本著色  赤不動
    ○●印で日本の三不動とされている。
○曼殊院の不動明王像 絹本著色 掛幅装 168,2×80,3cm 平安時代
    3点の国宝を含む36点の指定文化財がある。

主な不動明王(五大明王含む)  表内は国宝   ●印国指定重文

寺      名
仕             様
 時   代 

 東 寺(五大明王)講堂 
 木造(草槙)彩色(日本最古の密教像)100,9:201,5cm 
 平安時代

 東 寺  (御影堂) 
 坐像 木造彩色      123,0cm 
 平安時代

 金剛峯寺(八大童子)  
 立像 木造彩色 玉眼  95,1×103,0 cm 
 鎌倉時代

 金剛峯寺―八大童子の内六尊(不動明王の眷属として当欄と八大童子欄に記載) 



●新勝寺(成田山) 木造彩色 玉眼 三尊(二童子立像) 不動 132.7  矜羯羅 116,5cm  制押梼 61,8cm 鎌倉時代   千葉県成田市成田1-1

●金剛峯寺(護摩堂)坐像 木造彩色 玉眼玉歯 86,5cm 鎌倉時代        

●金剛峯寺 立像 木造彩色 87,0cm 平安時代 

●願成就院 (静岡県韮山町寺家)木造 玉眼 136.8㎝ 矜羯羅童子  77.9㎝ 制多迦童子 81.8㎝ 鎌倉時代 運慶作 

●浄楽寺(横須賀市芦名) 木造彩色 135.5㎝  鎌倉時代 運慶作 

●法隆寺 護摩堂 三尊(二童子立像) 木造彩色 藤原時代 

●法隆寺 木造彩色 不動93,0cm 平安時代 制押梼 ・矜羯羅44,0cm 南北朝時代 

●東大寺 三尊(二童子立像) 木造彩色 玉眼  不動 86,5cm  制押梼 88,7cm  矜羯羅 78,0cm  南北朝時代 

●新薬師寺 三尊(二童子立像) 木造彩色  不動 156,1cm  制押梼 84,2cm  矜羯羅 84,2cm  藤原時代  

●唐招提寺  木造彩色 玉眼 61,7cm 江戸時代  

●長谷寺 坐像 木造 75,2cm 藤原時代  

●玄賓庵(三輪)坐像 木造彩色 94,2cm 平安時代 

●十輪院(奈良) 木造  不動 98,0cm  制押梼 46,0cm   矜羯羅 43,5cm  平安時代  

●親王院(和歌山県高野町)坐像 木造素地 89,5cm 平安時代   

●聖護院 立像 木造彩色 二体   

●同聚院 坐像 木造 彩色  265,1cm 藤原時代   旧法性寺五大堂本尊  文化財指定の内最大の不動像で定朝の父康尚の現存する作品の可能性。  

●遍照寺(右京区嵯峨広沢西)座像 木造彩色 72,0cm 平安時代       康尚の現存する作品の可能性。 

●醍醐寺 坐像 木造彩色 玉眼 快慶作 59,4cm 鎌倉時代  

●醍醐寺 坐像 木造 古色  88,3cm 平安時代  

●大覚寺(五大明王)木造彩色 50,9cm 鎌倉時代 

●三千院 立像 88,8cm 鎌倉時代 

●三千院  立像   木造      平安時代    円珍感得の伝承を持ち元往生極楽院の尊像で黄不動の彫刻像  2008年指定 

●高山寺  坐像 木造古色  82,7cm 室町時代 

●大徳寺  坐像 木造彩色 275,0cm 平安時代  

●広隆寺 木造彩色 74,4cm 平安時代 

●浄瑠璃寺 三尊(二童子立像) 木造彩色 玉眼  不動 99,5cm  制押梼 52,3cm  矜羯羅 50,7cm   鎌倉時代 

●聖護院 立像 木造彩色 114,0cm・115,7cm 藤原時代(二尊) 

●観心寺  立像 木造 素地 93,9cm 南北朝時代 

●円鏡寺(岐阜)  立像 木造彩色 182,7cm 平安時代          

●峰定寺 (ぶじょうじ)(二童子)立像 木造彩色 25,8-52,7cm 藤原時代 

●延暦寺 立像 木造 古色 51,5cm 鎌倉時代  

●延暦寺(滋賀) 木造彩色 玉眼  不動 36,7cm  制押梼 61,4cm  矜羯羅 39,7cm    鎌倉時代

●延暦寺  絹本着色 131,5cm×91,5cm 鎌倉時代   不動明王三童子五使者像 

●園城寺(黄不動)立像 木造彩色 玉眼 鎌倉時代   

●園城寺 立像 木造彩色 162,4cm 藤原時代

●園城寺 絹本着色 134,5cm×124,5cm 鎌倉時代  不動明王八大童子像 

●石山寺 坐像 木造彩色 86,7cm 藤原時代   

●西明寺(滋賀) 木造 古色  不動 85,7cm  制押梼 84,6cm  矜羯羅 88,0cm   平安時代 

●神咒寺(兵庫)  木造彩色 88,4cm 平安時代 

●円照寺(福井小浜)木造 立像  156,7cm 藤原時代 

●金剛寺(東京) 木造  不動 282,5cm  制押梼 230,0cm   矜羯羅 191,0cm   平安時代 

●大山寺(神奈川) 三尊(二童子立像) 鉄造 玉眼 不動 97,9cm  制押梼 95,4cm  矜羯羅 96,1cm   鎌倉時代

●極楽寺(神奈川) 木造 91,5cm 鎌倉時代  

●大林院(滋賀) 絹本着色  126,4cm×83,0cm  鎌倉時代  不動明王二大童子像

●恵光院(滋賀) 絹本着色  155,8cm×124,8cm 鎌倉時代  不動明王二大童子像

●放光寺(山梨) 木造彩色   146,3cm  藤原時代       山梨県塩山市藤木  


五大明王
真 言系では「仁王経五方諸尊図」を典拠としており上記の不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王の五尊を言い水牛に乗る大威徳明王以外 は立像である、空海が大極殿に真言院を創設して五大明王の檀を築き後七日御修法の施行に成功し、天皇及び御衣に聖水を注ぐ最大級の修法にした事により平安 時代以後には多大な信仰を集めた、後七日御修法は明治維新まで宮中で行われ、現在は東寺で行われている、また天台系では円珍が請来した「五菩薩五憤怒像」 が使われ金剛夜叉明王に代わり鳥枢渋摩明王があてられ坐像である、五大明王全尊揃っているには東寺 ・大覚寺 ・醍醐寺 ・不退寺 ・宝山寺(奈良) ・ 定福寺(三重) ・瑞巌寺(宮城県松島)の七寺である 。
国宝の絵画に於いては東寺・醍醐寺 ・高野山(有志八幡講十八箇院) ・水無瀬神社(大 阪)に存在し、重要文化財も数点存在する、また軍荼利明王は真言系では右手に金剛鈎を持ち天台系は羂索を持つ、また大威徳明王に於いては画かれる位置が真 言系は画面側から右上、天台系は左下に画かれている。
新しく絵画で岐阜県大野町の来振寺(きぶりじ)で(絹本著色 不動 降三世 軍荼利 大威徳 鳥枢沙摩 五幅各140×88cm 平安時代)が2004年6月に国宝指定を受けた、真言宗の古刹に天台系の鳥枢沙摩明王の作品が存在する事は興味をそそる。
円珍様の五大明王で日光・輪王寺の場合は不動明王を欠いている、また京都・法性寺(現在は東福寺の塔頭、同聚院所蔵)の場合は不動明王だけが残っている。  

 寺      名
  不動明王
  降三世明王
  軍荼利明王
 大威徳明王
 金剛夜叉明王
   備       考

● 常福寺(三重)
  172,7cm
  178,8cm
  172,7cm
  150,6cm
  177,7cm
 木造彩色 平安時代

● 瑞巌寺
   64,1cm
  92,1cm
  89,7cm
  67,7cm
  91,1cm
 同上

● 醍醐寺
   86,3cm
  122,3cm
  125,8cm
   80,3cm
  116,7cm
 同上

○ 教王護国寺
  173,3cm
  173,6cm
  201,5cm
  100,9cm
  171,8cm
 同上   明円作

● 大覚寺
   50,9cm
   67,5cm
   69,3cm
   58,1cm
   69,6cm
 同上

● 不退寺
   85,7cm
  154,7cm
  157,0cm
   99,0cm
  150,5cm
 同上

● 宝山寺(奈良)
   17、1cm
   18,7cm
   17,5cm 
    11,5cm
   18,1cm 
 江戸時代 厨子入 


 常福寺は寺院に拠るサイトです。

絵画(五大尊像) 

○来振寺 
絹本著色 掛幅装 不動 降三世 軍荼利 大威徳 鳥枢沙摩 五幅  140,0cm×88、0cm
 平安時代    

○東 寺 
絹本著色 掛幅装 不動 降三世 軍荼利 大威徳 金剛夜叉 五幅  153,0cm×128,8cm
 平安時代  

○醍醐寺 
絹本著色 掛幅装 不動 降三世 軍荼利 大威徳 金剛夜叉 五幅  193,9cm×126,2cm
 鎌倉時代  


   常福寺は寺院公式サイト   (五大明王各編で重複させてあります)


注 1、日本三不動 青蓮院の青不動・高野山の赤不動・三井寺の黄不動を言い参考に曼殊院・黄不動[国宝]を挙げた、密教の諸尊は5色の色で現される事があり 不動明王も青・黄・赤・目黒・目白 がある、五智如来の場合は大日如来--白  ・阿?如来--青  ・宝生如来--黄  ・阿弥陀如来--赤  ・不空 成就如来--黒が使用されている。

注2、不動明王は五智の内に於いて法界体性智の部門で三輪身の経令輪身の化身を務める、三輪身とは自性輪身(如来) 正法輪身(菩薩) 教令輪身(明王)を言い、大日如来-自性輪身 ・金剛波羅蜜菩薩ー正法輪身・不動明王ー教令輪身の姿で現される。 

注3,  八大童子  矜羯羅(こんがら)童子 ・制押梼(せいたか)童子 ・慧光(えこう)童子 ・慧喜(えき)童子 ・阿耨達(あくのた)童子 ・持徳(しとく)童子 ・鳥倶婆伽(うぐばか)童子 ・清浄比丘(しょうじょうびく)童子を言う。 

注4, 瑟瑟(しつしつ)座 岩をイメージしているが角材を井桁状に組んだ台座。 

注5, 二童子を従えた不動明王像の1997年現在重文指定は22組存在し滋賀県7組、奈良県3組の他大分、佐賀、福岡にも存在する。

注6、一大円教  仏の教義は全てが密教であり、他に教えはなく大日如来一佛のみで諸仏も大日如来そのものと言う五大院・安然の教説でユダヤ教・イスラム・プロテスタントの一神教的な要素が加わる、但し偶像崇拝を容認しており前三教との隔たりは大きい。

注 7、「不動明王立印儀軌修行次第」安然(841~901)の著作で不動明王を観想する為の19の特徴を示したもので「身卑しく肥満せり」 「左目一眼を閉 じ右目一眼を開く」 「下の歯は上の右唇を喫し下の左唇は外へ翻り出す」 「色は醜青黒」 「奮迅憤怒(ふんじんふんぬ)」等を表したもので真言宗にも影 響を与えた。  (武覚超氏、最澄と天台の国宝参照)

注8、ゾロアスター教   BC7世紀頃~BC3世紀頃に現在のイランで東北部で発生しペルシャ文明の根幹を形成した宗教で世界最古に属する宗教と言える、経典は「アヴェスター」であるがペルシャ文明は口伝であり記録を残したのは古代ギリシャ人とされる。
神・アフラ・マズダの名からマズダ教・善教・松教とも言われ当寺のイランを席巻した、一神教信仰の嚆矢とも言える教義を持ち現在の世界三大宗教に儀礼や哲学に多大な影響を与えているが後にイスラム教に席巻された。
善 意・良心・道理を重要視した行動を示す、火を象徴として宗教儀礼に用いる事から拝火教とも呼ばれる、ただし祭祀や儀式で火は必ず燈るが礼拝の対象ではな い、古代から仏教にも大きな影響を与え阿弥陀信仰や不動明王等の火炎光背や、密教で重要視される護摩の火はゾロアスター教が源流とされる。
中国では松教(けんきょう)と呼ばれた。活動期はBC2000年紀ごろからBC7~6世紀など諸説があるが定かではない。
現在インドボンベイを中心に世界に広がり、定かではないが約17万人の信徒を持つ。

注9、修験道には「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経」を典拠とした滝行が行われ水中で真言を唱える行がある、修験場の多くに不動明王の石像が安置されている。

注10、伝持八祖  真言宗に於いて八祖には「付法八祖」「伝持八祖」が言われている、「付法八祖」は大日如来・金剛薩凱・龍猛 ・龍智・金剛智・不空・恵果・空海 となるが、「伝持八祖」は実在しない大日如来と金剛薩凱を省き、善無畏・一行を加えている。

注 11、四度加行とは阿闍梨位を習得する為の伝法灌頂があり内訳は 1、十八道念誦次第 2、金剛界念誦次第 3、胎蔵界念誦次第 4、不動護摩法の修法を 言う、十八道は十八種の真言と印、すなわち印明があるが流派により相違がある、・荘厳行者法 ・普賢行願法 ・結界法 ・荘厳道場法 ・勧請法 ・結護法  ・供養法 ・念誦法 ・後供方便法 等と言われる(日本密教 春秋社参照)を言う。

わが国最古の仏様がいます
是非ご観覧下さい・ベル

東寺 - 講堂 / Kodo Hall

講堂 / Kodo Hall. 重要文化財 講堂 室町時代(延徳3年/1491年) 入母屋造 本瓦葺. ここは、秘密の仏教の入口。 弘法大師空海が伝えたかった、 密教の教えを表しています。

640x340・拡大画像連続クリックでご鑑賞下さい。*☆*:;;;:*☆*:;;;: