元麻布・六本木・空の裏路地散策。どすこい空が行く○●○●○●○●○●

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「以下引用」
坂 沿いの一帯は字藪下と呼ばれていた。江戸時代より湧水による池が点在し、「岡場所」(私娼窟)があったという。かなり悪質なものだったらしく江戸後期、天 保10年(1839年)にはぼったくられた久留米藩士達が取り壊しを行い、以後岡場所はなくなったというエピソードが残されている。一方入れ替わるよう に、江戸後期から下級武士たちの副業として、湧水池を利用した金魚養殖が始まった。明治初期の地図にはあちこちに湧水を利用した金魚の池が描かれている。 左の地図は五千分の1地形図「東京府武蔵国麻布区永坂町及坂下町近傍(明治16年)」より。その下は現在の同じエリアをgooglemapから。

岡本かの子の1937年の短編「金魚撩乱」では、冒頭に界隈の風景が描写されている。


「崖 の根を固めている一帯の竹藪の蔭から、じめじめした草叢があって、晩咲きの桜草や、早咲きの金蓮花が、小さい流れの岸まで、まだらに咲き続いている。小流 れは谷窪から湧く自然の水で、復一のような金魚飼育商にとっては、第一に稼業の拠りどころにもなるものだった。その水を岐にひいて、七つ八つの金魚池が あった。池は葭簾で覆ったのもあり、露出したのもあった。逞ましい水音を立てて、崖とは反対の道路の石垣の下を大溝が流れている。これは市中の汚水を集め て濁っている。」(「金魚撩乱」より)

再開発のときまで残っていた金魚店「原安太郎商店」は、ちょうど岡場所が取り壊された翌年の天保 11年(1840年)創業で、「はらきんの釣り堀」として親しまれていた。金魚屋の主人は現在ヒルズに建つ高層マンションに住んでいるという。写真はかつ て通り沿いに掲げられていたはらきんの看板。

はらきんの向かいの谷の南側斜面は、木の茂る大谷石の擁壁となっていて、崖下には湧水が流 れ、側溝をせき止めた水たまりには金魚が泳いでいた。1991年に港区が刊行した書籍にはその写真が掲載されている。はっぴいえんどのドラマー兼作詞家で あった松本隆の1972年刊行の単行本「風のくわるてっと」に収められたエッセイに、この湧水が描写されている。

「坂を下りおわったとこ ろに養魚場がある。ここでも水は渇いた石畳に叩きつけられる驟雨の叫びに似た音であたりをいっぱいにふくらましている。都市の近代化が置き忘れていったこ の一画は、砂鉄が磁石によってある一点に引き寄せられるように、水の重いしずくのさやめきに満たされている。というのは、その先に行けば、やはり水に関す るエピソードにぶつかることができるからである。ちょうど苔でぬめぬめと光っている石垣の下に、「湧き水を汚さないようにしましょう」と書かれた小さな立 て札がたてかけてある。おまけにその綺麗な水の中には金魚まで放し飼いになっているのだ。何と風流な。きっと近所の人が世話を焼くのだろうなどと、つい道 端にしゃがみ、その中を覗きこんで時間を潰してしまう。そこには都市の偶然や錯覚を許す余地の無い人為的な神秘がある。」(「ピーター・パンの街」より)





























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元麻布ヒルズ 森の都市INTEGRATING NATURE AND THE CITY


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