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北青山*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
「以下引用」

天正18年(1590)に土地を与えられた、徳川家重臣の美濃郡上(ぐじょう)藩「青山家」の名が起源とされています。
 江戸時代に青山家の敷地の一部が町となり、青山浅河町など、“青山”を冠する町名がつけられましたが、それ以前の記録はなく、周辺の集落の名にも“青山”は確認できません。本格的に広域地名として認識されはじめたのは、明治以降であるとされています。
 青山家屋敷地より分与された、厚木街道(大山道=現青山通り/国道246号線)以北が現在の北青山となりました。
 その後、江戸は町を増やし、青山御掃除町、青山浅河町、青山御手大工町、青山五十人町、青山久保町、青山原宿町、青山六軒町、青山御炉路町、青山若松 町、青山善光寺門前などが起こり、明治になるとこれらの小さな町は合併をくり返し、明治5年(1872)、青山権田原町、青山高樹町、青山六軒町、青山三 筋町の4町を除く残りの町が、青山北町と青山南町に整理されました。
 明治11年(1878)の「郡区町村編制法」で、北町・南町ともに一部を除いて赤坂区に所属、後に港区となり“赤坂”を冠称しました。昭和41年 (1966)の「住居表示に関する法律」施行により、赤坂青山北町を中心に、赤坂青山六軒町・赤坂青山三筋町、原宿などの一部をあわせて「北青山」になり ました。




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新宿・☆*゚ ゜
「以下引用」

新宿区という名の歴史
 時は江戸時代、今から3、400年ほど前のこと。
その頃の交通手段といえば馬・歩くなどしかない時代。
慶長5年(1600)、五街道の整備と共に甲州道中が整備されました。
その道沿いに大名行列や商人・一般の旅人らの休息、宿泊場として重要な施設がある集落の町、宿場が設置されました。

 甲州街道は信濃国(今の長野県)・上諏訪から江戸・日本橋までの道のりが53里2町23間(208.5km)ありました。
  この街道には間に44の宿場がありました。しかし、江戸・日本橋から高井戸宿まで4里(約15km)と遠かったため、元禄11年(1698年)江戸浅草阿 部川町の名主・喜兵衛(のち喜六)らが江戸・日本橋から2里の茅野原だったこの辺りを開発し、元禄12年(1699)2月に45宿めの新しい宿場が開設さ れました。その宿場町の一部が内藤家※の屋敷地でしたので内藤新宿といわれました。
 これが今の『新宿』という名の根源です。



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池袋・*☆*:;;;:*☆*:;;;:
「以下引用」
池袋駅西口

池袋駅西口

1933年に白木屋と京浜急行電鉄が共同で設立した京浜百貨店が1930年代に菊屋デパートの名で池袋駅に開店。そして東京市電(1943年に東京 都電となる)が1939年に池袋駅前に乗り入れ、この頃から交通の結節点として、賑わいを見せるようになる。菊屋は1940年に武蔵野鉄道(現西武鉄道) に買収され、武蔵野食糧を開設。武蔵野デパートを経て1949年に西武百貨店と改称した。

また東武百貨店が1962年に本店を開店して1964年に東横百貨店池袋店を買収し、1958年に開店した東京丸物池袋店は1968年に西武百貨店に買収されパルコになった。

現在池袋と名の付く地区の大半は、一時期西巣鴨町に属していた。西巣鴨橋という橋が東池袋二丁目に現存する。サンシャインシティは巣鴨拘置所の跡地に立てられたものである。